『性産業“裏”偉人伝』第29回/かんなみ新地の元経営者~ノンフィクションライター・八木澤高明
阪神電鉄尼崎駅で電車を降り、長いアーケードを歩いた。アーケードが切れ、夏の西日が住宅街の向こうに沈もうとしていた。目の前に、色街特有の安普請の建物が軒を連ねていた。
その色街とは、今では消えてしまった、「かんなみ新地」である。
私は甲子園球場で高校野球を観戦したあとに訪れた。店はすでに営業していて、開いた引き戸の向こうに若い女性が椅子に座っていた。
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かんなみ新地は、一本の道路に面し、50メートルほどの間に店が軒を連ねていた。通りの裏側は駐車場となっていて、建物の1、2階の間から突き出た庇の上には、いくつもの室外機が見えた。
しばし、駐車場からその景色を眺めていると、ひっきりなしに車が入ってくる。どの車も乗っているのは、男が1人だった。
男たちの年齢は、40代から50代といったところか。ナンバーを確認してみると、どの車も地元ではなく、遠いところでは東北の仙台、北九州、関東では足立や柏、関西では京都や奈良といった他県のナンバーばかりだ。私も含めて、色街に引き寄せられる男たちの哀しさのようなものを感じずにはいられなかった。
色街というのは、女たちの色気や派手さばかりでなく、そこに集う男と女が奏でるブルースが流れている。
ちなみに、かんなみ新地のルーツを辿ると、戦後の闇市が起源となる。それまでは竹谷新田と呼ばれ、17世紀の新田開発によって生まれた水田地帯だった。
明治時代に入って尼崎周辺が工場地帯となると、この辺りにはぽつりぽつりと住宅が建ったが、色街ができることはなかった。戦後になり、かんなみ新地からほど近い阪神出屋敷駅周辺に闇市ができると、人が集まるようになり、地元の人から「パーク」と呼ばれるかんなみ新地が形成されていったのだった。
かんなみ新地は2021年の摘発で消えたが、そこで店を20年ほど経営していた女性に話を聞いた。彼女の名は春子。52歳になると明かした。
「20代でここで働き始めて、5年ぐらい頑張って働いてな。それから店を持ったんよ」
体を売る前は、デパートの店員をしていたという。なぜ色街で働こうと思ったのか。
「デパートの給料は手取りで20万ちょっとやったから、もっとお金を稼ぎたかったのよ。たまたま職場で仲良かった子が新地で働いていて、誘われたからやってみようと思ったの」
20年以上もかんなみ新地で働くことができたのは、居心地の良さがあったという。
「他の新地で働いたことがないからはっきりとは言えんけど、ここはあんまりぎすぎすしていないところがいいんよ。飛田とかは競争が激しいから、女の子だけじゃなくて、店のおばちゃんまで『客取れ』ってぎすぎすしているから、大変だって聞いているよ」
「ぜんぜん儲からんかったわ」
彼女の店で働いていた女性たちは、どんな経緯でやって来たのだろうか。「あんまり過去のことは詳しくは聞かないから、はっきりとは分からんけど、昼間は普通の会社で働いて、夕方からこっちに来てる子が多かったと思うで。年齢は20代が多かった。働く理由はいろいろだったと思うけど、ホスト遊びで首が回らなくなったとか、そういう子はうちの店にはおらんかったな。みんな、お金は無駄遣いしないで、きっちり貯金していたよ」
店での売り上げは、どの程度あったのだろうか。
「ぜんぜん儲からんかったわ。パンの耳もらって来て、そればっかり食ってるような状況やったわ。まぁ、それは冗談にしても、贅沢はできんかったよ。女の子に払わないけないし、お店の家賃や経費も差し引いたら50〜60万残ったらええほうよ。ほとんど休めんし、さっきも言うたけど、この場所の居心地が良かったから、続けてこられたんやろね」
彼女にとって、世間から蔑まれる色街での日々は、天職と言っても良かった。ただ、そんな場所も摘発によって消えてしまった。摘発前の状況を、春子が明かした。
「だいぶ前、未成年を使って逮捕されたということはあったけどな。せやから、女の子を雇うときはきっちり身分証もチェックしたりした。摘発に関しては、まったく予想もしてなかったな。警察から、いきなりこの日までにやめろって言われて、やめないとパクるぞって脅されたんよ。まさに、寝耳に水やったな」
警察が突きつけた期限は21年の11月1日。春子は、その期限前に店を畳んだ。
「ちょうどコロナが流行っている頃で、辞めていく女の子がいたりして、店を畳むにはいいタイミングだったのかもしれんね。それでも、納得はできんけどね」
コロナ禍で客足が途絶え、彼女自身も身の振り方に悩み始めた時期だった。しかし、辞め時は自分で決めたかったと、今も悔しさを滲ませる。
彼女の店だけでなく、30軒ほどあった一帯の店は、すべて営業を終えた。
現在のかんなみ新地跡を歩いてみると、ちらほらと飲み屋に鞍替えした店もあった。当然ながら、男たちが行き交った、かつての賑わいはどこにもない。
裏側の駐車場に回ってみると、全国各地から車が集った面影はなく、1台も車が止まっていなかった。ブルースが途絶え、無音の世界が広がっていたのだった。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。
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