島田洋七 (C)週刊実話Web 
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“一発屋”と呼ばれる芸人たち~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

ギターを片手に着流し姿で、「ギター侍」として一躍ブレークした波田陽区という芸人がいたでしょ。その後も、島田紳助司会の『クイズ!ヘキサゴンⅡ』なんかにもレギュラー出演していたけど、いつの間にか全国ネットの番組では見かけなくなりましたよね。


数年前、俺が今でも平日朝に出演しているKBC九州朝日放送『島田洋七の朝から言わせろ!』というラジオ番組の収録に行くと、たまたま波田がいたんです。紳助が可愛がっていたから、一度飯を食いに行きましたよ。「もう一度頑張りたいです」「頑張れよ。でも、自分の芸に飽きたらあかんで。ずっとネタを作り続ければ、また人気が出るかもしれないからな」。


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今、波田は福岡を拠点に活動しているんです。福岡のローカル番組だと、福岡県内と佐賀県の一部でしか流れないから、全国ネットの番組に比べたら、ギャラはめちゃくちゃ安いですよ。でも、レギュラー数本に、営業が月に何度か入れば食べてはいけます。もともと波田の芸は斬新だったし、好きだったから、なんだか安心しましたね。


波田のようにいわゆる〝一発屋〟と呼ばれ、めっきりテレビで見なくなる芸人は他にもいますね。吉本だと「ラッスンゴレライ」のギャグがヒットした8.6秒バズーカー。新人ですぐにブレークしましたよね。でも、ある日を境に急にテレビから消えた。あれだけ人気があったのに、何が原因でいなくなったのかとずっと心配していたんです。相方の1人、はまやねんは現在、キッチンカーで成功しているというニュースを最近見て安心しましたよ。

全国区で名前が売れるのは難しいこと

他にも「あったかいんだからぁ〜」の歌で人気を博したクマムシ。歌も上手いし、お笑い芸人が久々のヒット曲を出すんじゃないかと期待していたら、彼らも急にテレビから姿を消した。俺の情報不足かもしれないけど、今はどうしているのか心配になりますよ。

芸人にとってお金が儲かっている、いないより、家でじーっとしているのが一番辛いんです。週に2〜3日でも仕事があると落ち着くんです。幸いにも、俺はそういう経験がない。漫才ブームの後、冠番組こそなかったものの、3〜4本は番組内のコーナーのレギュラーを持っていましたから。


その後に訪れたバブル期では、一度名が売れたから営業で稼ぐこともできた。でも、俺の講演会もそうだけど、コロナ禍で営業がピタッとなくなってしまった。営業で稼いでいた芸人にとっては辛いですよ。


それにね、よく皆さんは一発屋と揶揄するでしょ。俺はあんまりその呼び名が好きじゃないんです。一度でも全国区で名前が売れるのは相当難しいことですよ。これだけ芸人を目指す人が多くなった時代では特にね。


はまやねんだって、ラッスンゴレライで一度名前が売れたからこそ、マスコミに取り上げてもらえるわけでしょ。俺は芸人だし、もう70代。芸人のことが好きだから、売れていない芸人には売れてほしいし、一度でも売れて見かけなくなった芸人は、どうしているのか心配になるんですよ。


福岡の街で、イベントのポスターで最近見かけなくなった芸人の顔を見ると、会ったことがなくても「頑張りやー」と思いますね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。