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「頑張りやー」と電話をくれる西川きよし師匠~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web 

何度か書いてますけど、俺が漫才師になったきっかけは『なんばグランド花月』でやすきよ(横山やすし、西川きよし)さんや笑福亭仁鶴さん、桂三枝(現・文枝)さんの舞台をたまたま見て、簡単に笑いがとれると思ってしまったからなんです。芸人になるきっかけを作ってくれた1人、西川きよしさんからつい先日、電話をもらいました。

「元気か?」と西川さんからの電話に「師匠、元気にしています。どうしましたか?」「いやな、テレビでYouTubeを見られるようにしたら、昔のB&Bの漫才があったんよ。今見てもオモロイな」「ありがとうございます。師匠」「師匠とかもう言わんでエエよ」。

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俺がまだ素人で、劇場で見たとき、やすきよさんはすでに師匠で売れてもいた。だからてっきり10歳以上、年上かと思っていたら、西川さんと俺は4歳しか離れていないんですよ。

続けて、1996年にやすし師匠が亡くなられた直後に、西川さんが司会でやすし師匠を偲ぶ特番も奥さんのヘレンさんと一緒に笑いながら見ていたらしいんですよ。その番組にも俺らが出ていた。「師匠は自宅でも漫才を見ているんですか?」と尋ねると、よく見るそうです。それだけ漫才が好きなんでしょうね。

漫才が大好きなのに加え、西川さんは77歳になった今でも舞台に上がり、漫談を披露しているから、若手の漫才を見て漫談のパターンを研究しているみたいですよ。芸能生活60周年を記念した『西川きよしのプレミアム大感謝祭』を全国で公演している最中なんです。前座に若手の漫才師が何組か出演し、トリに西川さんが出演するライブをね。

漫才はアドリブが入れやすい

電話で話していると「若いうちはしゃべくりの勉強をしておかなあかんな。そうじゃないと芸能界では生き残れない」と仰っていましたね。俺も同感です。コントのコンテストで優勝しても、コントは面白いけど、テレビのスタジオでのしゃべりが得意じゃない若手が多いんです。

思い浮かべてみてください。コント出身で、テレビで生き残り、司会まで務めているのは萩本欽一さんくらいでしょ。コントはセリフを覚えて、舞台もセッティングしてある中で演じる。芝居に近いんです。だからアドリブを急に入れるのも難しい。そうなると、テレビで必要とされるようなしゃべくりの力をつけるのも難しいですよね。

コントに比べると、漫才はアドリブを入れやすい。たとえば、地方へ営業に行った際、お客さんが笑っていないなと思えば、どんどんネタを変えていきますよ。

でも、俺と洋八は何度もコントをやったことがあります。だから、コントはコントの面白さがあるのはわかっています。

「じゃあ、また電話するな。頑張りやー」。そう電話の最後にはあの大きな目でみなさんが思い浮かべるような声で必ず終わるんです。嫁に「また頑張りやーゆうてはった」と言うと笑ってましたよ。でも、漫才にしても歌にしても教えようがないですよ。本人が頑張らない限りはね。

それにしても、憧れだった先輩の西川さんが、九州に引っ越して20年近くになる俺に、いまだに年に1〜2度電話してくれるのは不思議なもんですよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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