中島由依子(C)週刊実話Web 
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グラドル兼タクシードライバー/中島由依子インタビュー〜34歳でグラドルに挑戦しタクシードライバーを兼業!?〜

二足の草鞋を履くグラビアアイドルは多いが、中島由依子は異色中の異色。水着でセクシーなポーズを決める傍ら、月の20日ほどは制服に身を包んでタクシードライバーをしているのである。芸能界を夢見て上京したのが5年前。グラビアデビューは一昨年のことだった。現在36歳。〝夢の先〟を聞いた!


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――注目を浴びるきっかけとなったのは、人気ドキュメント番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)でした。放送日は今年の6月25日。3カ月ほど経ちましたが反響はどうですか?


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中島 番組に出たおかげで、すごく反響をいただいています。放送後に最初にお乗せしたお客様が、降り際に『見たよ』と言ってくださったり、ガソリンスタンドで洗車していると声を掛けられたり。時には走行中に隣に停まった車から『頑張って!』と叫ばれたこともあります。ちょっと恥ずかしいけど、うれしいです」


――グラビアアイドルには看護師や秘書など、さまざまな兼業をしている人がいますが、タクシードライバーは初めて。何がきっかけで働くことに?


中島 元々、運転は大好きだったんです。地元が奈良県なのですが、生駒山に夜景を見に行くなどよくドライブをしていました。31歳で上京して女優を目指し、ウェディングモデルなどをしながらミスコンに応募するなど頑張っていたのですが、なかなか芽が出ず…。自分の生き方を変えてみようと思ったときに知ったのが、今お世話になっているコンドルタクシーという会社でした。芸能活動との両立もできるし、社長がプロデューサー活動もされていて、とても理解があり働きやすいんです。


――免許の取得は苦労しませんでしたか?


中島 実技試験も大変でしたが、もっと大変だったのは地理試験です。東京での生活が短いので、土地勘のないところの問題には苦労しました。幹線道路や交差点の名前、主要施設などを丸暗記するしかなかったですね。東京の道路は複雑すぎて、今でも分からないところが多いです。なので私は、会社が練馬にあるので、ずーっと(近くにある)千川通りを往復していました(笑)。手を上げてくれるお客様を拾ったり、無線も入りますし。最近では池袋の東口にあるタクシープール(専用の待機スペース)の利用方法も覚えて、そこがお気に入りです。

親と周囲の反対を押し切り31歳で上京…

――他にも兼業ドライバーがいる?

中島 主婦の方もいらっしゃいますし、芸能で言えば俳優、芸人、歌手の方もいます。私の場合は日勤と言って、朝の10時頃から夜の8時頃まで走るのですが、月に20日ほどは勤務しています。急なオーディションが入ったりしても融通を利かせてもらえるので助かっています。正直、芸能人としては鳴かず飛ばずだった私ですが、タクシー運転手という付加価値が付いたおかげで仕事が増えてきたんです。36歳という年齢でさえも武器(笑)。実際、SNSでタクシーの制服姿と水着姿を交互に載せると反応がとてもいいんですよ。


――女性ドライバーだから得したこと、または損したことはありますか?


中島 優しくしていただけることが圧倒的に多いのですが、時には舐められるというか、上から目線で言われたり、対向車のドライバーが(私が女性だからか)狭い道で頑として譲ってくれないこともあります。


――口説かれることは?


中島 時々ですが、あります。「今度よかったら食事でも」と名刺を渡されたり。いただくだけですけどね。


――印象に残るお客はいましたか?


中島 ある日、とても元気なおじいちゃんを乗せたんです。世間話をしたりお孫さんの話とかご家族の幸せそうなエピソードをたくさんされてて、とても会話が盛り上がったんです。私もうれしくなって、「奥様とはどこで出会われたんですか?」とお聞きしたんです。そしたら「私、一応、女なのよ」という答えが返ってきて、やってしまった…ってなりました。印象に残るというか、失礼な失敗談ですね。


奈良県橿原市に生まれた中島は県内の高校に進学するも、校風が合わず途中で大阪市内の女子校へ転校する。その後無事卒業して短大へ進学。同短大を卒業後はアパレルの販売員となった。1年半で退職し、携帯電話のキャンギャル、パチンコ店のコーヒーレディなどをしていたら30歳になっていた。


――芸能界を目指す転機になった出来事はあるのでしょうか?


中島 28歳頃だったと思うのですが、パチンコ『冬のソナタ』のBGMが店内でずーっと流れていたんです。それが頭から離れなくて、遅ればせながらドラマを見ました。チェ・ジウさんが可愛くてカッコよかった。同時に、『私はこのままだと1つの人生しか歩めないけれど、演じる側になればたくさんの人生を経験できるのでは?』と、漠然と思ったんです。女優になりたいという気持ちは、あの頃に芽生えたんだと思います。


一念発起して芸能事務所に所属し、ウオーキングやポージングのレッスンを受けました。当時はモデルの仕事はポツポツありましたが、女優としての仕事はほぼなし。30歳でパチンコ店も辞めて大阪で一人暮らしを始め、翌年31歳で上京しました。親や周囲の反対を押し切ってまでの上京でしたが、オーディションを受けてもうまくいかない日々でした。そんなとき、当時の所属事務所から『ミスFLASH2022』の募集を知り、応募したんです。大半のミスコンには年齢制限があるのですが、ミスFLASHにはありませんでした。半年間の選考でグランプリは逃しましたが、ファイナリストに。そこで初めてメジャー誌に登場することができたんです。 R―1グランプリ視野に!?

――当時、既に34歳だったわけですね。そこからグラドルを目指そうと?


中島 選考の過程でも水着になることには抵抗がありました。しかも周りは若い子ばかり。非常に厳しいだろうなと思いましたが、ライブ配信での審査項目があるんです。「これならチャンスがあるかも」と腹をくくりました。よく考えたら、お芝居も自分をさらけ出すという意味では恥ずかしい部分もたくさんあるので。


――豊満も武器になる。


中島 そうですね。元々私、体型の問題もあると思うのですが、周りから「艶っぽいですね」と言われることが多かったんです。〝G級〟豊満だけじゃなく、全身から醸し出される妖艶さみたいなものがあるらしくて…。今は引き締めようとジムにも通っているのですが、ごつくならないように気をつけていて、G級をキープしたままマシュマロボディーをより強化しています。肌が白いので、胸には血管が浮き出るんです。そこもアピールポイントですね。


――ただ、G級くらいでは最近のグラドル界では普通ですよね。


中島 そうなんです〜。ああ、これだけでは武器にならないなと悟りました。年齢も重ねてきているので、若い人には出せない大人の色気も武器にしていきたいなと考えています。加えてタクシードライバーというのが注目ポイントになっているんだと思います。


――タクシードライバーとの両立は今後も続けていくのでしょうか?


中島 もちろんです。ただ、あくまでも女優志望なので、こういうインタビューを機に名前が少しでも売れたらいいなと思っています。


――本名も同じだそうですが、デビューにあたって芸名は考えなかった?


中島 女優としてはそのままでいいと考えていました。でも、他のジャンル、例えばお笑い芸人さんになるんだったら別の芸名を考えています。まあ、妄想に近いんですけど。


――R-1グランプリならピンで出られますよ。


中島 そのときは、芸名を変えます。例えば「鎌倉ゆいこ。」とか「白鳥ユイコーン」とか(笑)。


――「タクシードライバーあるある」なんていいかも。


中島 面白く伝えられる自信はないんですけど、機会があったら挑戦してみたいですね♪
◆なかじまゆいこ 1987年2月24日生まれ。T158、B86・W63・H88センチ。出演予定舞台=くちなし第4回公演『柵で囲う檻の柵』(9月27日〜10月1日@上野ストアハウス)、○○Pソファ第5回公演『ギザギザハートのアスペルガー』(11月22〜26日@下北沢711シアター)。