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日本とチリ合作映画に主演・西岡德馬インタビュー〜高校2年のときに留年が決まって運命が変わった〜

西岡德馬
西岡德馬(C)週刊実話Web

こわもての役からコミカルな役まで幅広く演じ、映画、ドラマ、舞台と多方面で活躍を続ける西岡德馬。9月22日公開の映画『GREEN GRASS〜生まれかわる命〜』について、そして、いかにして役者の美津を歩んできたのか、知られざるエピソードを語っていただいた!

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――史上初となる日本とチリの共同製作映画『GREEN GRASS〜生まれかわる命〜』は、東日本大震災で死後の世界に旅立った息子・近藤誠と、息子を失った父親・清の2つの視点で人生を描いた作品で、西岡さんは清を演じています。初めて脚本を読んだときは、どんな印象を抱きましたか?

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西岡 僕は割とスピリチュアルなものが好きで、死後はどうなるのかに興味があります。輪廻転生も信じているので、肉体は滅びても、魂はどこかに浮遊しているのかもしれない、違う星に行くのかもしれない、そんな死生観を深く考えさせられる映画だなと。もう一つ、親子の話でもある。

僕は子どもが娘だけなので、清とは立場が違うんですけど、疎遠だった息子が死んでしまい、生前、何もしてあげられなかったことを悔やむ。そして息子が小さかった頃、共に過ごした町に戻って、思い出の地を巡る。その心情も理解できました。ただセリフが少ないので、言葉で説明する芝居じゃないなと感じました。

――監督はチリ人のイグナシオ・ルイス氏ですが、コミュニケーションは円滑に取れましたか?

西岡 普段、監督はスペイン語でしゃべるんですけど、英語もしゃべれるし、通訳の方もいたので、そこまで苦労はしませんでした。それに、どういう思いで演じるのかは委ねてくれました。とはいえ、最初から表現しようと決めつけて演じると駄目。現場で「そこを歩いてくれ」と言われたら、そのときの清の気持ちで歩けば、自然とゆっくりした足取りになる。そういうハートの部分は監督にも伝わっていたと思います。

娘は親子というよりも友達

――先ほどお子さんのお話もありましたが、西岡さんは娘さんとバラエティーで共演することもあります。そのやり取りを見ると、すごく親子仲がいいですよね。

西岡 うちは親子というより友達という感覚が強いんですよ。僕の親父が、その逆でした。軍隊から帰って、すぐに生まれた子どもだから、ものすごくスパルタだったんです。親父は午前様で、夜中まで飲んで、酔っ払って帰ってきても、ちゃんと朝早く起きて会社に行く。だから、夕飯を一緒に食べたこともほとんどなかったんです。自分はガバガバ飲んでいるくせに、20歳まで絶対に酒を飲ませてくれなかったし、成人になってからも一緒に酒を酌み交わしたのは一度あるかどうか。そういう親父だったんで、自分はもうちょっと子どもと接したほうがいいなと思っていたんです。

――反面教師のような。

西岡 そうですね。ただ僕は先妻との間にも娘が1人いるんですが、その子とは密に過ごすことができなかった。それもあって、2人の娘とは何でも言い合える関係にしようと。もちろん女性同士でしかできない会話は、お母さんに任せますけどね。娘が小さかった頃は、王子様って呼ばれていたんですけど、ああだこうだ僕がうるさく言うと、「また王子様が向こうで何か言ってるよ」って言われてました。今は王子様じゃなく、おじい様ですけどね(笑)。

――娘は成長とともに父親と距離を置くっていいますけど、そうではなかったんですね。

西岡 うちはなかったですね。「父親の洗濯物は臭いから一緒に洗わないで」って言いだしたら、張り倒してやろうかなと思っていたんだけど、それもなかったですから。おそらく幼稚園の頃から、僕の芝居を全部見せていたから、お父さんはこういう人なんだと理解していたのが大きかったのかなと思います。逆に僕が度を過ぎたことを言うと、「いい加減にしなさい」と、しっかり注意してくれますからね。

――次女の優妃さんも俳優をやってらっしゃいますが、それだけ西岡さんをリスペクトしている証拠ではないでしょうか。

西岡 実は長女もハリウッドで裏方の仕事をしたいからと、4年間、スティーヴン・スピルバーグと同じアメリカの大学に通ったんですよ。ところが帰国したら、「女優になりたい」と言い出して。僕が若いときにいた文学座に入ったんだけど、1年で辞めて結婚をしたんです。優妃もなんだかんだで、今年8月に第1子を出産しましたけどね。

西岡德馬
西岡德馬(C)週刊実話Web 

――西岡さんが俳優になったきっかけも、お父様だったそうですね。

西岡 そうそう。僕は素行が悪い高校生で、2年生のときに留年が決まっちゃったの。それで親父が先生と面談したときに「なんでそんなことで留年しなきゃいけないんだ。こんな学校辞めろ!」って啖呵を切って、僕を連れて帰っちゃったんです(笑)。その数日後に親父から渡されたのが東宝芸能学校のパンフレットでした。というのも僕はいとこに頼まれて、小学1年から3年生まで児童劇団に入って子役をやっていて。そこで「うまい」って褒められていたんだけど、小児喘息がひどくて辞めざるを得なかったんです。成長とともに喘息は良くなって、体を鍛えたりして、すっかり子役をやっていたことも忘れていたんだけど、親父は覚えていたんでしょうね。

――それで東宝芸能学校に通ったんですね。

西岡 芸能に興味があったわけじゃなく、親父が行けと言ったし、もう勉強しなくていいんだと思って通ったんだけど、これが合わなくてね。それまで高校で暴れていたのに、クラシックバレエやモダンバレエ、タップや日舞なんかの授業があって、やってられないと。ただ演技の授業で、生徒に厳しくて有名だったおばあちゃんの先生に、「あんたはいい役者になるよ」って言われたのは心に残っています。ただ、いい役者になろうと思って来たわけじゃないし、もっとアカデミックなことも勉強しなきゃいけないなって、1年で東宝芸能学校は辞めて。もともと母親が普通に高校を卒業してほしいと願っていたのもあって、鎌倉の聖ミカエル学院に入りました。高校卒業後は演劇を学ぶために、新設されたばかりの玉川大学文学部芸術学科に入って演劇を専攻しました。

名門劇団でスピード出世

――大学卒業後、どういう経緯で文学座に入ったんですか?

西岡 大学の4年間はずっと芝居に打ち込んでいて、卒業後の進路を決めるときに、先生から「君は誰よりも文学座に向いているから、文学座に行きなさい」と言われたんです。それで入座したら、玉川大学で4年間、演劇を学んだから養成所に行く必要はないと、いきなり研究生のBクラスからスタートしました。そして、その翌年にはAクラスに上がって、次の年には今までの制度を廃止するから、劇団に残るか辞めるかの選択を迫られて、僕は文学座に残って劇団員になりました。結局、入座して3年目で劇団員になったのは文学座が始まって以来で、周りから「ラッキーな奴だな」と言われました(笑)。

――いわばスピード出世をして、先輩方に嫉妬はされなかったんですか?

西岡 最初は白い目で見られたけど、こういう裏表のない性格だし、「おまえは話が面白い」って、みんなにかわいがられました。確かに先輩方は厳しかったけど、面白かったですよ。杉村春子さんや北村和夫さんなど錚々たる先輩方に注意されることも多かったけど、いきなり『ロミオとジュリエット』のロミオ役に抜擢されるなど、早い段階で良い役をもらえたし、僕が培われたのは間違いなく文学座です。

――貴重なお話をありがとうございます。最後に改めて、『GREEN GRASS〜生まれかわる命〜』の見どころをお聞かせください。

西岡 美しい映像で、夢幻的な世界が描かれた作品です。派手な展開があるわけではありませんが、心を無にして、美術館で絵画を鑑賞するような感覚で見ていただき、生と死、親子の関係など、それぞれの視点で見て、思いを感じてほしいですね。

(取材・構成/猪口貴裕 撮影/武田敏将)

西岡德馬
1946年10月5日生まれ。1970年に劇団文学座に入座。多くの舞台で主演を務める。1979年に退座した後も圧倒的な演技力と存在感で、数多くの映画、ドラマ、舞台に出演する一方、近年はバラエティー番組でも活躍。

『GREEN GRASS〜生まれかわる命〜』
2023年9月22日(金)より池袋HUMAXシネマズほか全国順次公開
キャスト:イシザキ マサタカ、小澤征悦、ダニエル・カンディア、ヒメナ・リバス、西岡德馬
監督・脚本:イグナシオ・ルイス

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