阪神甲子園球場 (C)週刊実話Web
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阪神18年ぶりV野球人・岡田監督が自信満々“吉田野球”で達成した「アレ」!

阪神タイガースが18年ぶりに〝アレ〟を達成した。見事な手腕でチームを率いた岡田彰布監督に称賛の声が集まっている。就任1年目でセ・リーグVに導いた岡田監督を長年にわたり取材し続けてきた伝説の元スポーツ紙敏腕記者が、岡田野球の真髄を明かした!


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岡田彰布監督(65)にとって今季の優勝は、まさに野球人生の集大成だったのではないだろうか。大阪スポニチ(スポーツニッポン新聞社大阪本社)の記者だった筆者は、タイガース担当として岡田監督のルーキー時代や吉田義男監督政権下での日本一も取材してきた。その目から見てもシーズン中の采配や選手操縦術は、『野球人・岡田彰布』がこれまで辿った壮絶な経験を余すところなく生かした結果と言えるだろう。


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選手にプレッシャーを意識させないよう「優勝」を「アレ」と言い続けるなど、なにかとネタにされることも多かったが、阪神の快進撃を支えたのは紛れもなく岡田監督の功績だ。


采配面でも柔軟な起用法が目を引いた。例えばセンターラインの固定強化のため肩が弱く送球ミスの多かった中野拓夢をショートからセカンドにコンバートし、これでセンター近本光司と不動の1、2番コンビを固定することに成功。コンバート成功の背景には岡田監督の実体験が生きている。


早稲田大学からドラフト1位で入団した当時、チームには不動の4番サード・掛布雅之が君臨しており、大学時代の三塁手からセカンドにコンバートされた岡田氏はひたすら守備練習に打ち込んでいた。その姿に「上手くなったね」と、筆者が声をかけると「セカンドは慣れたらとても楽しいポジションです」と笑顔を見せた場面が印象に残っている。今季の中野が同じコメントをしているのも、偶然とはとても思えない。

極秘ゴルフ会談で…

ファンの間で論争となった「梅野隆太郎VS坂本誠志郎」の正捕手争いにも明確な意図があった。シーズン前から岡田監督が「正捕手は梅野」と宣言したのは、矢野燿大監督時代のチーム内の不満を一掃するためだ。

というのも、矢野政権下では一部主力選手の間で「坂本がキャプテンに指名されて使われているのは、矢野監督と宗教絡みの共通点があるからだ」という声があり、これを知っていた岡田監督は〝正捕手宣言〟でチーム内にくすぶっていた不信感を払拭したのだ。


結果的に梅野は怪我で離脱してしまうが、「俺は差別はしないが、区別はする」とした岡田監督の方針は、選手がプレーに集中できる環境を整え、投手陣の活性化にもつながった。


鋭い洞察力を生かしたオーダーの組み方もことごとく当たった。ルーキーの森下翔太の3番起用、近本の代役・小野寺暖や8番・木浪聖也も大成功。固定できなかった「6番右翼」もチャレンジ枠とすることで選手のモチベーションを鼓舞した。


投手陣も「昔と違い登板過多はさせない。頭数を揃えて休ませながら使う」として、ブルペンに投手を多く用意してリリーフ陣を最後までもたせた。このやり方は若手選手にも好評だったようだ。そんな数々の采配について岡田監督に〝いつ、どこで?〟などと聞いたところ、こんな答えが返ってきた。


「そらぁ、解説していた時も監督のつもりで野球観察に必死やったからね、おー」


岡田氏の監督就任はまさに今季最大の戦力補強だったと言えるが、実は岡田監督が決定するまでには紆余曲折があったことはあまり知られていない。


昨シーズンの阪神は、4年目を迎えた矢野監督が春季キャンプイン直前にそのシーズン限りでの退任を表明するという異例の事態だった。このためシーズン中から後任監督人事が注目を集めていた。昨年のゴールデンウイークを過ぎた頃には早くもさまざまな名前が取り沙汰されていた。


そんなタイミングで、ある阪神の大物OBから筆者が耳打ちされたのが「阪神電鉄の親会社である阪急阪神ホールディングス総帥の角和夫会長兼グループCEOと、阪神を初の日本一に導いた伝説の1985年の監督・吉田義男氏、そして岡田彰布氏の3人が西宮カントリー倶楽部で極秘ゴルフ会談を行った」という情報だった。岡田氏にとって角会長は早大の先輩でもある。


早速、裏取り取材に動いたところ吉田氏、岡田氏は共にゴルフに行ったことは認めたものの、「次期監督についての話はしていない」とトボケられ、阪神球団側もシーズンへの影響を恐れてか「次期監督候補の名前を紙面に出したマスコミの取材を拒否する」と通達するほどピリピリしており、記事にするまでの確証を得ることはできなかった。


ただ、その後の私の取材では、やはりこの会談がカギだった。岡田氏は親しい友人にこのゴルフ会談で「角会長から阪神の監督をやる意欲を聞かれた」と漏らしている。つまり、この時点で阪急阪神HDは「岡田監督」の腹を固めて、意思確認に動いていたというわけだ。

四球とヒットの同査定要請

では、なぜ阪急阪神HDは岡田氏に白羽の矢を立てたのか。それは岡田氏ほど阪神を優勝させるという強い自信を持っている人物がいなかったからだろう。

実は、岡田氏はゴルフ会談の際に他の監督候補として、藤川球児氏と鳥谷敬氏の名前を聞かされ、さすがに驚いたというが、この中で誰よりも監督就任への熱い意欲を口にしていたのが岡田氏だった。


岡田氏は吉田義男氏やリリーフとして85年の優勝にも大きく貢献した福間納氏ら親しい球界関係者とゴルフに出かける度、こんな自信に満ちた本音を漏らしていたそうだ。


「球団はなぜ俺を監督にしたがらない? 今(矢野監督時代)のメンバーなら優勝する自信がある」


岡田監督とは旧知の元大阪日刊スポーツ編集局長・井関真氏もこう話す。


「ここ数年、岡田は私たちに対しては監督になりたいという意欲を隠そうともしませんでした。最下位に沈んだ金本(知憲)監督の後任に矢野が決まった時も、岡田はコーチングスタッフまで用意してギリギリまで阪神からの就任要請を待っていましたからね」


このタイミングで岡田監督が実現しなかったのは、当時の球団フロントとの確執だ。フロントと現場のゴタゴタは阪神のお家芸ではあるが、こうした悪しき伝統を払拭できた意味でも岡田監督の存在は重要だった。


そんな岡田監督をバックアップした阪急阪神HDの動きも見逃せない。昨年オフには藤原崇起オーナー、谷本修オーナー代行の守旧派が相次いで現場から外され、阪急出身の杉山健博オーナーが配置された。


「岡田起用に大反対だったフロント守旧派は矢野監督の後任として、平田勝男二軍監督を推していましたが、これも却下されましたからね」(スポーツ紙記者)


阪神、オリックスで監督経験のある岡田氏だが、いずれもフロントとの関係は良好とは言えなかった。オリックス監督退任後に筆者がインタビューした際にも「フロントの考えが分からないのは阪神を去る時と同じ」と苦笑いしていた。この時からフロントと現場の一体感がいかに大切かを痛感したはずだ。


四球の査定ポイントアップなどはまさにその成果だ。岡田監督は今シーズンの開幕日にフロントに出向き、「四球とヒットの査定ポイントを同じにしてほしい」と要請し認めさせている。以前のフロントでは考えられない対応であり、この成果はチーム被四球がダントツの452個(優勝時点)という結果に表れている。


筆者はこの四球を重視する野球観は吉田元監督から受け継いだものだと見ている。吉田元監督は第一次政権下で主砲だった〝ミスタータイガース〟の田淵幸一に「ボールに手を出すな。四球を増やせばホームランも増える」と伝授し、ホームラン王のタイトルを取らせた実績がある。この信念は日本一に輝いたチームの主砲だった掛布、バースらと共に岡田氏にも伝授されていたはずだ。


いずれにしても、「今のメンバーなら優勝する自信がある」と豪語して監督となり、実際に結果を出した有言実行は素晴らしい一言に尽きる。吉田野球を継承しながらフロントまで改革した岡田野球は1年目で開花した。本当におめでとう!!
吉見健明 1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は〝南海・野村監督解任〟などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。