(画像)Roman Samborskyi / shutterstock
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表向きの素人たちを人気者にするノウハウ~第6回『放送作家の半世(反省)記』

おおよそ1990年代後半から活躍を続けるモーニング娘。などのハロー!プロジェクト勢や2000年代半ばに活動を始めたAKB48グループ、さらには現在のアイドル界で頂点に君臨する坂道シリーズなど、数あるグループアイドルの元祖と言えるのが、1985年4月にスタートした『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)で一大ブームを巻き起こしたおニャン子クラブだった。


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「それまでの女性アイドルはソロ歌手がメインで、多くてもピンク・レディーのようなデュオ、キャンディーズや少女隊のようなトリオが限度でした。ところが、一気に10人以上の、しかも歌やダンスを本格的に習ったことがない素人の女子高生を売りにしたアイドルグループが現れた。そんな彼女らに10代から20代の視聴者層が食いつくと同時に、この大量メンバーシステムこそが、40年近く引き継がれるアイドル界の教科書になりました」(元フジテレビ関係者)


今だから明かせるが、おニャン子初期の中心メンバー、河合その子、国生さゆり、城之内早苗らは、番組スタート前からCBSソニーの寮に住む練習生で、後のほとんどの人気メンバーたちも、番組内の公開オーディション企画に参加する時点で、すでに合格が約束されたヤラセだった。

“これがフジのノリか”

もっとも当時のテレビ界には、それをヤラセや不正とする風潮は欠片もなかったし、ある程度のレッスンを受けていた彼女たちを安全牌として合格させるのは必然。しかも演出の一環として、音痴や踊り下手まで演じさせられていたのだ。

「テレビ局側は、女子大学を起用した『オールナイトフジ』で、表向きの素人を人気者にするノウハウをつかんでいて、それをおニャン子にも流用しただけ。制作スタッフも同じ班が担当していましたしね」(同)


しかし、おニャン子で一世を風靡した『夕やけニャンニャン』も87年8月末に放送終了。そして、約1年7カ月後の89年4月クールにスタートしたのが、私も参加した『夕やけニャンニャン』の後継番組『パラダイスGoGo!!』だった。


当時の私は、事実上『オールナイトフジ』を打ち切りに追い込んだ裏番組『いかすバンド天国』(TBS系)を担当していて、元ライバル番組の作家として興味を持たれたらしい。結果的に月曜日の生放送台本を担当することになったのだが、その第1回目の打ち合せで予想もしていなかった洗礼を浴びた。


なんと、放送作家陣の中で最高齢かつ最も有名な大御所の某氏が、当時16歳の現役女子高生メンバーを起用する番組オープニングのイメージVTRで「制服のまま学校の廊下を走らせ、ハアハアと息を切らせながら『イク時は一緒』と言わせよう」と、キャッキャとはしゃぎながら提案していたからだ。


現代ではコンプライアンスに引っ掛かるし、89年の当時でも16歳の女子高生に言わせるセリフや演出ではない。しかし、私は異議を唱えることもなく、むしろ内心では「これがフジテレビのノリか」と、妙に感心までしていたのだ。


今となってはお恥ずかしい次第だが(苦笑)。