大﨑洋(C)週刊実話Web
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元吉本興業会長大﨑洋氏インタビュー〜「正直、吉本辞めて今は清々しいですわ」〜

東京都・千代田区。オフィスビル群と高級住宅街が入り混じる一角の事務所に元吉本興業会長・大﨑洋氏の姿があった。同社を退社して2カ月。休む間もなく大阪・関西万博催事検討会議の共同座長として忙しい日々を送っている。同氏が〝今〟を語り尽くした!


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今年6月末に吉本興業ホールディングスを退社した大﨑洋元会長(70)。退社後は『2025大阪・関西万博』の催事検討会議共同座長を務めている。


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「正直、吉本辞めて今は清々しいですわ。これまでは毎日、事件やら問題が起きてYahooニュースで吉本が出るとか、そんなんばっかりでしたからね。さすがに最初はちょっと寂しさや物足りなさみたいなもんがありましたけど、1〜2週間もしたらもう全然。今は朝起きてもスッキリですよ。そりゃ松本(人志)と浜田(雅功)のことは気になりますけど、それでもなんかあったら言うてくるやろうし、そういう意味ではもう本当に清々しいほうが勝ってる。ええタイミングで辞めさせてもらったかなと思います」


吉本興業のトップとして活躍してきた大﨑氏はどういった経緯で辞め、今回の大阪・関西万博にかかわることになったのかを聞いてみた。


「成り行きです。実は以前からうっすらと(万博への)打診はあったんですが、その頃はまだ吉本を辞めるつもりはなかったんです。会社のために随分と切った張ったをしてきたし、非上場化したときは個人で数百億円の連帯保証人もやって貢献した。まだ会社にいてもええやろって思ってたんです。ただ一方で、会社を優秀な岡本(昭彦)社長にバトンタッチできたのは幸せなことやし、『俺ももうすぐ70歳や。このままいても〝なんや大﨑が院政を敷いてる〟とか言われて、岡本社長も仕事がやりにくいやろうし、さっさと辞めたほうがええかな。そや、辞めよ』って思い立ったんです」


ちょうどこの決断の前後で寄せられていたのが大阪・関西万博の催事検討会議の話だった。


「会社も辞めるし、人生で2回も万博を経験できるなんてそうあることじゃない。吉本も大阪、関西に育てられた会社なんで、なんか恩返しできたらなという思いもあって、共同座長を引き受けることにしました。吉本新喜劇の間寛平さんからは『座長のライバルやね』なんて言われました」 縦割りで進まない情報整備

大﨑氏は大阪府堺市の出身だ。1970年に大阪万博が開催されたときの記憶を聞いてみた。


「ちょうど高校1年生から2年生にかけてやったかな。月の石や動く歩道やとかすごく楽しかった。とにかく、あんなたくさんの外国人を見ること自体が珍しくて、中高生の間で流行ってたのが外人さんにサインをもらうこと。ノートを持ってウロウロしながら外人さんに『サイン、プリーズ!』と声をかけて名前を書いてもらう。もちろん、なんでもない一般の人なんやけど、『黒人さんイカツイなあ』なんて友達とバカ話をしてました。そんなガキが50年後に万博の催事検討会議の共同座長になるんですから、分からんもんです」


1970年当時の吉本興業の内情は知る由もないが、ある大御所芸人からはこんな話を聞いたという。


「2カ月くらい前に西川きよしさんと桂三枝(現・桂文枝)さんとご飯を食べた際、70年の万博の話をお聞きしたんです。そしたら『劇場の出番以外はほとんど万博の会場に行ってた』と。それだけ仕事でお声がかかっていたそうで、関西の放送局さんや新聞社さんが自分たちが中心になって全国に情報を発信できる機会だと、張り切って盛り上がっていたんですね。あの万博のおかげで多くの芸人さんたちが全国に名前を知ってもらえるようになった。吉本にとっては初めてのことやったみたいです」


共同座長就任が発表されてから2カ月ほどが経つ。具体的にどんな動きをしているのかを聞くと、少し表情が曇った。


「まあ、あんまり悪口みたいになったらいけないけど、現状把握のために4回くらい会議を開いたんですが、どうも話が見えなくて。万博の運営には霞が関の役人さんたちと地方自治体や民間の方たちが半分ぐらいずついて、全部で600人くらいになるのかな。しかも、完全な縦割りなので情報の整備もなかなか進まない。もちろん、それぞれに事情があるから無理もないことかもしらんけど」


大﨑氏が共同座長を務める催事検討会議は、大阪・関西万博でどんなイベントをやるのがふさわしいかを検討したり、催事の重要な案件に対して提言する組織。ただし、最終的な決定権は万博を運営する日本国際博覧会協会にある。


「最初はちょっと理解が追い付かなかったんです。もう2年を切っているのに。普通なら『そんなん誰かやるか?』という話やけど、やらなしゃあないですからね。まあまあ、途中で逃げ出したりキレたりせずにニコニコやろうかなと思っています」 島田紳助氏と万博コラボ説

実は、このインタビューの前日、大﨑氏は大阪市内で記者会見を開き、社会が抱えるさまざまな課題に対して、持続可能な形として事業化への支援を行う『事業化支援プロジェクトチーム』を有志で立ち上げたことを発表したばかり。


「万博のテーマ『いのち輝く未来社会のデザイン』に沿って、会場で催されるさまざまな取り組みを事業化へ向けてサポートするチームです。プロジェクトの募集や選定をしながら、経済産業省や内閣官房、万博協会と連携してサポートしていきます。個人的にはこの記者会見をやってようやくスタートした感じ。ちなみに、この会見の会場費とかも退職金から払って立て替えていますが、まあ、まだ退職金は残っているし何とかなるかな」


大阪・関西万博をめぐってはパビリオン建設の遅れが問題視される。それでも数々の修羅場をくぐってきた大﨑氏はポジティブだ。


「普通に考えたらどう考えても間に合わんと思いますけど、そればっかり言ってても仕方ないんで、まあ何とかなるやろと。9月15日から万博の一般参加のイベント募集を開始します。時間的には厳しいところもあるけれど、『お祭り』をキーワードにすればいいのではないかと思っています。世界中のお祭りを集めて、世界中の子どもたちが参加して、体験して、家族みんなで楽しんでもらえればいい」


大阪・関西万博では吉本興業も民間パビリオンへの出展が決まっている。テーマは『笑い(waraii)』が世界語になることを夢とした『Waraii Myrai(ワライ ミライ)』だ。


「もともと、僕が共同座長に就く前から吉本がパビリオンをやることは決まっていたので、これは岡本社長以下、今の吉本がしっかりやってくれると思います。あんまりネタバレはできへんけど心配はしてません」


大阪・関西万博の重職に就いたことに対しては、「吉本は万博で儲けようとしているんじゃないか」という声も聞こえてくるが、大﨑氏は一笑に付す。


「そりゃあ東京五輪もいろいろありましたし、言われるのは分かります。だからこそ、なおさら利益誘導とかにならないように細心の注意を払ってリスクは避けなきゃアカン。吉本は本当に関西、大阪に育ててもらったわけやし、儲けなんかより、地元に貢献せなアカン。個人としてもお金貰ったら、もうわけ分からへんから、いらんと言ってます」


本格的な大阪・関西万博の仕事はこれからのようだが、それ以外の仕事は何をしているのか。大﨑氏は『一般社団法人mother ha.ha』などを設立し、都内に事務所を構えている。


「吉本辞めたら明日から行くとこあらへんなあって思ってたんですが、事務所を借りることにしました。ほかに吉本時代に立ち上げた沖縄や京都の国際映画祭などのイベントにもかかわっていく予定です。あとは講演をしたり、本を書いたりしてコツコツ稼がなアカンですね」


長く吉本興業のトップに君臨してきただけに、大﨑氏がこれから何をやるのか業界の注目度は高い。


「こないだ大阪で古い知り合いと飯食ったんですけど、その知り合いは行きつけの飲み屋でいろいろ言われたらしい。なんでも『大﨑が吉本を辞めたのは岡本社長と経営方針が合わなかったから』とかいう話で。その知り合いは『本当ですか?』って聞いてたんやけど、『お前、俺と何十年も付き合ってるのに、何でそんな話を確かめに来るんや。その場で否定せんかい!』って笑い飛ばしました。


そうそう、その知り合いは『大﨑さんと(島田)紳助が万博でなんかやるらしいな』とも聞かれたらしい。そんなんあるはずないんやけど、面白いからこれは『あるらしいでって、言うとけ』って伝えときました(笑)」


聞き手◉本多圭/インタビュー写真◉石田寛