ジャニーズ事務所 (C)週刊実話Web
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【近藤真彦】松田聖子との不倫疑惑から中森明菜の自殺未遂まで真相全てを“もみ消し”《ジャニーズ醜聞史1》

創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害事件をついに認めたジャニーズ事務所。同社は、これまでも所属タレントたちの数々のスキャンダルをもみ消してきた。過去を振り返ると、〝醜聞隠蔽〟が同社の歴史そのものだったことが分かる。


〝マッチ〟こと近藤真彦は、田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」で活躍後、1980年12月12日に『スニーカーぶる~す』でソロ歌手としてデビュー。一躍トップスターとなったが、全盛期、そして退所に至るきっかけになった2つの女性スキャンダルが印象的だ。


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「1989年の2月、近藤は中森明菜との交際が報じられていたにもかかわらず、当時すでに神田正輝と結婚していた松田聖子とのニューヨークでの〝密会キス写真〟を一部メディアが掲載。聖子は苦しい言い訳で不倫を否定したが、騒ぎはうやむやになった」(ベテランの芸能記者)


ところが、同年7月11日、近藤の自宅マンションで明菜が手首を切る自殺未遂事件を起こしたのだ。


「明菜は2日後に誕生日を控えていました。自殺未遂の原因は、聖子との不倫疑惑を含めたマッチの女性関係であることは明らかでした」(同・記者)


幸い明菜は一命を取りとめ、明菜が復帰するまで近藤も活動を自粛した。


同年のおおみそかに、明菜が復帰会見を行う。当初は出席の予定がなかったマッチも同席し、円満ぶりをアピール。これが世に言う〝金屏風会見〟だ。


「このとき、明菜は近藤との婚約会見だと信じ込まされていたそうです。ところが、交際は続けるが婚約はしないと近藤が明言。この会見を仕組んだのは、ジャニー氏の姉・故メリー喜多川氏だったと言われています」(同・記者)


メリー氏に目をかけられ、近藤も母親のように慕っていた間柄。当時、売れっ子だった近藤を結婚させるわけにはいかなかったのだろう。


「おかげで近藤は、芸能活動そっちのけでレース三昧の生活を送ってもおとがめなし。ジャニーズの〝長男〟として周囲からもあがめられていた」(同・記者)

東山新社長にリベンジ!?

その後、近藤は94年に一般人女性と結婚。それから13年後の2007年10月に待望の第1子が誕生した。

やりたい放題が許されていた近藤だが、20年11月に、25歳年下の女性経営者との不倫を『週刊文春』にスクープされる。


「まだメリー氏も存命でしたが、ジャニーズは近藤に、無期限の活動自粛処分を下し、翌年4月には電撃退所。新社長に就任した東山紀之から、報道番組で批判されるほど落ちぶれた」(同・記者)


メリー氏が亡くなった際には追悼コメントを発表した近藤だが、ジャニー氏の性加害事件が表面化すると、謝罪動画で「知りませんでした」とシラを切った藤島ジュリー景子社長に対して「知ってるでしょ」と苦言を呈した。


「恥をかかされた東山に対する恨みは忘れてないでしょうからね。今後、近藤が過去の事務所の内情を暴露し始めるかもしれませんよ」(同・記者)


東山新社長にとっては、もっとも厄介な存在になるかもしれない。