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『性産業“裏”偉人伝』第26回/10億以上貢がせた伝説の女~ノンフィクションライター・八木澤高明

Filip Fuxa
(画像)Filip Fuxa/Shutterstock

10億以上貢がせた伝説の女・アニータ・アルバラード(チリ在住・50代)

色街を取材して20年以上になる。これまで数多の娼婦たちを取材してきた。

そんな中で最も印象に残っている娼婦といえば、かつて巷を騒がせたチリ人のアニータ・アルバラードである。彼女の生き様は、この連載にふさわしい「性の裏偉人」と言って差し支えないだろう。

アニータが騒動を起こしたのは、今から20年ほど前のことだ。青森県住宅供給公社に勤める経理職の男性が14億円を横領。そのうちの11億円を彼女に貢いだことが発覚したのだった。

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その後、その男性と結婚したものの、不正が発覚し夫は逮捕。アニータが夫から受け取った金でチリに建てた豪邸などは、すべて没収された。

貢がせた財産を没収されたアニータがどのように暮らしているのか。「希代の悪女」ともいわれたアニータはどんな女性なのか。実際に会って話してみたいと思い、チリに行ったのは10年ほど前のことだった。

アニータは1980年代に始まる日本への出稼ぎ外国人女性、いわゆる「じゃぱゆきさん」の歴史の中で、おそらく稼ぎ頭であろう。私は多くのじゃぱゆきさんの取材をしたが、エイズで亡くなったタイ人女性や、500万円の借金を背負って日本に来たものの警察や入管による摘発が厳しくなり、本国への送金はおろか借金返済すらもままならなくなった女たちの姿を目の当たりにしてきた。

アニータのような例は特殊なケースであるが、多くのじゃぱゆきさんが彼女のようになりたいと夢見ながら、体を売っていたのも事実である。事件が日本で話題になった当時、横浜の黄金町で体を売っていたコロンビア人の娼婦が言った言葉を今も忘れない。

「アニータみたいになりたいわ」

彼女たちにとって、アニータはジャパニーズドリームの体現者であり、現人神でもあった。

南米・チリへの旅は、直行便はないため、北米を経由してのルートとなった。

アニータは、チリの首都サンティアゴの中心部から1時間ほどの住宅街の中に暮らしていた。家の玄関を開けると、テレビで聞き慣れたあのハスキーボイスが聞こえてきた。

「いらっしゃいませー」

ソファが置かれた広々とした応接間で、アニータはまるでナイトクラブに客を迎えるかのように言った。まず彼女に、チリでどんな生活をしているのか尋ねた。

「今はクラブでDJ、テレビ出たりして生活してます。お金は1カ月80万円ぐらい入ってきます。今の生活はオッケー、子供たちと一緒、みんなで笑って、食べるものもある。今のままがいい」

アニータには7人の子供がいるが、それだけの月収があれば、チリで暮らしていくには十分なのだという。

まな板ショーで故郷に送金

彼女が日本に行くきっかけになったのは、19歳のときに首都のサンティアゴで日本人ブローカーと出会ったことだった。

「お金がなくて、娘も病気で、なんとしてもお金を稼ぎたかった」

300万円の借金を背負わされてアニータは来日。そして日本で最初に働いたのは、名古屋のストリップ劇場だった。彼女の仕事は、ステージ上で客とすることだった。

「毎日嫌だったけど、仕方なかった。毎日4〜5人ぐらいとしたよ。最初は1万円もらっても価値が分からなかったけど、そのお金の価値を知ったときは驚いた。これで家族が楽に暮らせると思った。最初に10万円ぐらい送ったけど、すごく嬉しかったのを覚えている」

アニータが行ったのは、「まな板ショー」と呼ばれるサービスだった。これはかつて日本のストリップ劇場では普通に行われていたもので、そのまな板ショーを担ったのが南米やフィリピン人の女性たちだった。

ストリップ劇場でしばらく働いたあと、アニータは青森県のスナックに移った。そこで羽振りのいい男性と出会う。それが、横領事件を起こした元夫だった。

アニータを気に入った元夫は、ブランド品から多額の現金まで、彼女の歓心を買おうとさまざまなものを貢いだのだった。だが彼女は、その金がどこから出ているのか知る由もなかった。

そして、しばらくして男からプロポーズされた。

「本当は、愛しているペドロという男がいたけれど、その人は貧乏だったから、貢いでくれた男性を選んだの。私は家族の面倒を見ないといけないから」

愛と金。どちらを選ぶかという選択を迫られ、アニータは金を選んだのだった。

ただ、今でもペドロのことは、唯一愛した男性だという。その言葉を発したときのトーンは今までと違い、どこか湿っぽかった。

私は、その言葉に、理想を捨てて現実を選ばざるを得なかった彼女の苦悩を見た気がしたのだった。

果たして、日本に行ったことは良かったのだろうか。間髪を入れずにアニータが言った。

「そりゃ良かった。日本に行ったおかげで、みんな幸せになれた」

どれだけのじゃぱゆきさんが、迷いなくその言葉を吐くことができるのだろう。アニータのように成功を収めたじゃぱゆきさんもいれば、エイズで命を落とした者もいる。彼女の言葉を人間のしぶとさと捉えるか、それとも哀しい性と捉えるか。なんとも複雑な思いを抱いたのだった。

私には、アニータという女性が巨大な光と影というアンバランスさを抱えた、途方もない人間に見えた。

八木澤高明(やぎさわ・たかあき)
神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。

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