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蝶野正洋『黒の履歴書』~世界的なレスラー2人を追悼

蝶野正洋
蝶野正洋 (C)週刊実話Web

「テキサスの荒馬」と呼ばれたテリー・ファンクさんが79歳で亡くなった。1970年代から活躍した名レスラーで、お兄さんのドリー・ファンクとのタッグ『ザ・ファンクス』は、日本でも人気を博した。

テリーさんは何度か引退と復帰を繰り返して、90年代ごろからはハードコアなスタイルにチェンジ。世界中で体を張ったファイトを展開していた。


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テリーさんとは俺が『WCW』に行っているときにバックステージで何度かすれ違ったことはあるけど、初めて対戦したのは95年の福岡ドーム。テリー・ファンク、越中詩郎VS冬木弘道、蝶野正洋というタッグマッチで、テリーさんにとって、この試合が新日本プロレス初参戦だったそうだ。

タッグを組んだこともあって、10年の1月4日東京ドームで長州力、蝶野正洋、中西学、テリー・ファンク組VS矢野通、飯塚高史、石井智宏、アブドーラ・ザ・ブッチャー組という試合があった。このカードが発表されたとき、俺はベテランぞろいの顔見世みたいな試合に組み込まれたと思って、会社に対して不満を持っていた。テリーさんはまだしも、ブッチャーなんてあまり動けなかったからね。でも試合が始まると、テリーさんとブッチャーは活き活きとしていて、さすがだなと思った。若い頃にテレビで見ていた黄金カードが眼の前で展開していることに不思議な気持ちになったよ。

そういえば俺が大会中に喫煙所に行ったら、テリーさんが座っていたことがあった。軽く挨拶して、テリーさんがタバコを取り出したから、俺は火を付けようと思ってライターを持ったんだよ。でも、テリーさんは長年の試合のダメージなのか、身体が小刻みに震えていて、口にくわえたタバコを持つ手もブルブルしている。俺もそのときはヒジを壊していて、ライターを持つ手が震えていた。どっちも震えてるから、なかなか火が付かなくて、お互いに顔を見合わせて笑った。

歴史的な対決になったはず…

テリーさんは、身体がボロボロになっても常に観客を楽しませようとしていた。古き良きアメリカンレスラーの見本みたいな人だった。

テリーさんの訃報が伝わった翌日、今度はブレイ・ワイアットという若い選手が死去したというニュースが流れた。『WWE』で怪奇派として活躍したスーパースターで、病気療養中と伝えられていたが、心臓発作により亡くなったという。

ワイアット選手はプロレスラーの家系で、父親はマイク・ロトンド、祖父はブラックジャック・マリガンという有名なレスラー。叔父にはバリー・ウィンダム、ケンドール・ウィンダムという兄弟レスラーもいる。

俺はワイアット選手の父親のマイク・ロトンドと縁が深くて、『nWo』時代にはよく一緒に組んでいた。

マイクはレスラーでありながらフロントとビジネスの話も出来る頭のよいタイプだったから、息子についてもいろいろプロデュースしていたのかもしれない。

これは武藤さんに聞いたんだけど、グレート・ムタの引退試合の対戦候補にブレイ・ワイアット選手も挙げられていたそうだ。実現していたら、まさに歴史を繋ぐような異次元の怪奇派対決になっていただろうね。

亡くなったレスラーの思い出は、永遠に世界中のファンが語り継いでいく。心からご冥福をお祈りする。

蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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