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古舘伊知郎「世界で5人目! 世界で5人目!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

古館伊知郎
古館伊知郎 (C)週刊実話Web

昭和のプロレスにおいて〝世界の大巨人〟アンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げるということは、選手にとってのステータスであり、勝敗にかかわらず一大事件として報じられたものだった。

日本マットにおける外国人レスラー同士の名勝負というとき、必ず上位に挙げられるのが1981年9月23日、『新日本プロレス10周年記念★第2弾』と銘打たれた田園コロシアムでのアンドレ・ザ・ジャイアントとスタン・ハンセンの一騎打ちだ。

当時の両選手といえば、アンドレは押しも押されもせぬ世界的なトップスター。一方のハンセンも77年の新日初参戦以降、アントニオ猪木のライバルとしてNWFヘビー級王座をめぐる名勝負を繰り広げていた。

どちらもヒール(悪玉)の立場ではありながら、ベビーフェイス(善玉)的な人気を得ていたという点においては、似たようなポジションであった。しかし、世界中から引っ張りだこのアンドレがスポット参戦しかできなかったのに対して、ハンセンは常連外国人として当時の新日人気をけん引していたことが大きな違いであろう。

田園コロシアムでの試合に先立つ9月4日の愛知・豊田市体育館大会。メインイベントは猪木、タイガー戸口、長州力VSアンドレ、ハンセン、バッド・ニュース・アレンの6人タッグだったが、入場はアレン→ハンセン→アンドレの順で、この時点ではアンドレが格上の扱いだった。

その試合中にアンドレとハンセンは、同士討ちからの仲間割れを起こし、これにより直接対決が組まれる運びとなった。

カードが発表されると、チケットは前売り段階で完売。当初は雨の恐れのある屋外会場で、テレビ朝日はカメラを入れることに消極的だったが、一転して中継を決めたという。

アンドレの絶大なるプロフェッショナル精神

両者の新日での対戦は初めてではなく、第2回、第3回の『MSGシリーズ』の決勝リーグ戦での対戦は、いずれも引き分け。第3回大会では決勝進出者決定戦でも顔を合わせたが、これはハルク・ホーガンの乱入により、アンドレの秒殺リングアウト負けに終わっていた。

しかし、それらはあくまでも長期リーグ戦のうちの1コマであり、ビッグマッチでの特別試合となれば、これまでとは異なる結果が見られることをファンは期待し、その期待は現実のものとなった。

両雄はゴング前から激しくぶつかり合い、結果は両者リングアウトからの延長戦でアンドレの反則負けとなったが、互いに得意技を惜しみなく繰り出したノンストップバトルは、ファンをおおいに満足させることになった。

外国人トップ同士の対戦となれば、どちらも負けられないというプライドから硬直した試合になっても不思議ではないが、それが名勝負となった裏にはアンドレの絶大なるプロフェッショナル精神があったという。

それまでのアメリカでの実績からすれば、ハンセンはアンドレの足元にも及ばない。しかし、試合が行われたのは日本のリング。日本で高い人気を獲得していたハンセンにある種の敬意もあってのことだろう。アンドレは試合で「大盤振る舞い」の大サービスを行ったのだ。

まず、試合序盤で見せた「左腕殺し」は「世界のアンドレがハンセンのラリアットを脅威に感じている」ことを表したもの。延長戦では18文キックをかわしたハンセンのラリアットを、まともに食らって場外に吹き飛ばされている。

最後の反則負けの場面にしても、ハンセン風のサポーターを右腕につけて、それでレフェリーのミスター高橋にラリアットをかますという、ハンセンへのリスペクトを感じさせるものだった。

ハンセンの実力を認めていたアンドレ

そして極め付きは、ハンセンにボディスラムで投げられた場面だ。「アンドレは実力を認めた信頼できる相手にしか、ボディスラムを許さなかった」というのは、今ではよく知られた逸話である。

ハンセンがアンドレの体をしっかりと抱え上げ、きれいにマットへ投げつけた瞬間、実況の古舘伊知郎は「(アンドレをボディスラムで投げたのは)世界で5人目! 世界で5人目!」と絶叫した。

ちなみに、ハンセン以前の4人は「ハーリー・レイス、ローラン・ボック、ハルク・ホーガン、アントニオ猪木」で、これが当時の新日の見解。ハンセン以後はエル・カネック、キマラ、長州力、アルティメット・ウォリアーらが有名で、伝聞ではブルーザー・ブロディも投げているという。

また、国際プロレス時代のストロング小林が日本で、日本プロレスに来日経験のあるブッチャー・バションがカナダにおいて、ボディスラムに成功した際の映像が残っている。しかし、それらはアンドレが「モンスター・ロシモフ」名義のときだったので、ノーカウントということか。

なおローラン・ボックは当人がそう言っていたものの、明確な記録が残っていないため、実はこの時には「世界で4番目」というのがプロレス史的には正しいとする説もあるが、歴史的名勝負を前にして細かいツッコミを入れるのは野暮というものだろう。

《文・脇本深八》

古舘伊知郎
PROFILE●1954年12月7日生まれ。東京都北区出身。77年にテレビ朝日に入社。 『ワールドプロレスリング』の実況を担当した後、84年にフリー転身。

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