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黒田博樹選手のサインが消えてしまったボール~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

前回は、元福岡ソフトバンクホークスの松中信彦選手らが俺の誕生日を石川県・金沢で祝ってくれて、仲良くさせてもらっている話をしましたね。もともと、松中とは割烹居酒屋のような店でたまたま知り合ったから、その後も交流が続いているんです。それとは逆に人に紹介されたのが、広島カープやニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した黒田博樹投手。


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広陵高校で4番を打ち、甲子園に出場、その後、広島カープに入団した同級生の河井昭司君が試合のチケットを取ってくれていたんですよ。以前にも書きましたが、俺は佐賀で小中学校をすごし、中学のときに野球で頭角を現したから、野球で広陵高校へ進学したんです。

河井君は素晴らしい人柄でしたね。引退後も、球団や選手ともつながりがあったんです。広島では有名人ですよ。河井君とは、広島に行くと、よく食事をしたり、いろんなところへ連れて行ってもらったり、カープ戦のチケットを取ってくれましたね。

カープの本拠地、広島市民球場はドームではないでしょ。まだ夏ではなかったんですけど、デーゲームで用意してもらった座席が日よけのちょうど真下だった。頭の前半分と顔は日なたで、後ろ半分が日陰。日なたと日陰のちょうど境目だったんです。顔は暑く、頭の後ろ側が涼しいから、時折上体を後ろに反らせて、涼んでいた。横を見ると、同じ列のお客さんたちも同じようにしていましたよ。みんな考えることは同じなんやなと思いましたね。

慌てて書いてくれたサインが…

試合が終わると、河井君は選手が座るベンチ裏の通路に招いてくれた。そこで紹介されたのが黒田選手。初めて間近で見る黒田選手に感動しましたね。30年くらい前までは、日本人がメジャーリーグで活躍する時代が来るなんて思わなかったですよ。メジャーリーグの関係者に聞いたとき、日本人は体が小さくて、スポーツに向いてないと当初は言われていたらしいです。

それでも、野茂英雄投手がメジャーリーグで大活躍して、日本人の評価も変わりましたね。今では、プロ野球選手の中でも小柄な吉田正尚選手が、ボストン・レッドソックスで活躍しているもんね。黒田選手も想像していたよりはめちゃくちゃ大きいという感じではありませんでしたよ。「どうも、黒田です。サインを書いたのでよかったら」と、サイン入りボールをプレゼントしてくれたんです。

本人の目の前で、プレゼントをまざまざと見るのも何でしょ。博多行きの帰りの新幹線に乗り、座席に着いてサイン入りボールをよく見ると、カープではなく、ニューヨーク・ヤンキースのボールだったんです。しかも、俺が急に訪れたから、慌ててサインしたようで、ボールペンで薄っすらと書いてあった。

つい最近、自宅の居間に飾ってある黒田選手のボールを眺めていたら、サインがほとんど消えてしまっていることに気がついたんです。それが悔しくてね。まだはっきりサインが残っていたら、どれくらいの値段がつくのか鑑定してもらおうと冗談で思ったほどですよ。それを嫁に話すと「自分で『黒田』って書いたらええやん」と言うから、「アホか。そんなことしたら詐欺やないか」とツッコみましたよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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