杉本彩(C)週刊実話Web 
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女優/杉本彩インタビュー〜永遠の“エロスの伝道師”に夫からの指摘が!?〜

本誌読者にとってはレジェンド級の〝エロスの伝道師〟杉本彩。学園祭の女王として全国を駆け回り、深夜番組のMCや映画『花と蛇』での壮絶演技が印象深いことだろう。そんなレジェンドは今、動物福祉活動にも熱心だ。エロスと福祉。そこにギャップを感じる方もいるかもしれない。55歳になったばかりの彼女に、現在の思いを聞いた。


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――セクシー女神とも呼ばれた杉本さんですが、改めて芸能界に入ったきっかけを教えてください。


杉本 もともとは地元の京都で15歳の頃から着物のモデルをしていました。家庭が複雑だったこともあり、早く自活したかったんですね。なので、当時の夢は「起業すること」でした。


――芸能界には関心がなかった?


杉本 まったく! 東京のモデル事務所の方に「一度遊びにおいで」と誘われても、憧れがあったわけではないので、躊躇っていました。でも、真に受けて遊びに行ったら写真をバシャバシャ撮られて。「これって、もしかしてスカウト?」と気づいて、以降は電話がかかってきても逃げ回っていたくらいです。結局、事務所の代表の方が京都までいらしてくれて、そこで私が出した条件は「京都から通いでやりたい」「モデルの仕事だけにしたい」「最低保証金額はこれだけ」って。


――すごい交渉力。何歳のときですか?


杉本 17歳でした。実際に4年間くらいは新幹線で往復してましたし、仕事も選んでました。『スケバン刑事』(フジテレビ系)のゲストで出るというお話も、セーラー服を着るのは嫌だと断ったり(笑)。


――なんともったいない。


杉本 事務所としてはドラマかバラエティーには出てほしかったんですね。究極の選択として、逸見政孝さんが司会をしていた音楽バラエティー『夜も一生けんめい。』(日本テレビ系)に出ることにしたんです。土曜の夜には『オールナイトフジ』(フジテレビ系)もありましたから、当時は本当に憂鬱でした。

実際は人見知りで…

――MCとして手慣れている印象でしたが…。

杉本 いえいえ。ある人からは『嫌そうなのが顔に出てるよ』と言われてました。実を言うと当時、出番前の楽屋でこっそりお酒を飲んでいたんです。気分を奮い立たせるために…。


――では、番組のお色気要素も好きではなかった?


杉本 そんなことはありません。子供の頃から『11PM』(日本テレビ系)はよく見てましたし、お色気要素には抵抗も疑問もなかったです。祇園生まれということもあり、大人の世界への憧れは強かったし、もともとマセていたんだと思います。


――いつ頃からセクシー女神と呼ばれるようになっていったんでしょう?


杉本 歌手デビューした頃からでしょうか。セクシーで奇抜な衣装がウリだったこともあり、本当の自分とは裏腹でも、ニーズに応えて真面目に頑張ってセクシーイメージを作り上げていった感じですね。


――それは意外。視聴者目線ではイケイケのお姉さんに見えてました。


杉本 確かに、見た目では怖いものなしの感じですもんね。ハイレグ水着を着ていても、「見られてナンボ」の気持ちでやってましたから。でも、実際の私は人見知りで、注目されること自体が苦手だったんです。


――それでも、自活するために頑張ったわけですか。


杉本 それもありますが、何かを生み出すことは好きでしたし、クラシックやモダンバレエを子供の頃からやっていたので、舞台に立つことやパフォーマンスは大好きでした。学園祭のお仕事でも、エンターティナーとしての探求心が働き、お客さんに自分をどう見せるかなど、やるからには突き抜けたキャラで楽しませたかったですね。


――学園祭の女王の頃は忙しさも半端なかった。


杉本 そうですね。開催時期が集中するので、移動手段が大変でした。セスナに乗って移動したこともあります。中でも印象的だったのは、防衛大学校の学園祭ですね。みなさん制服姿で、圧倒されてしまいました。普段からストイックな学生生活をされてる方たちですから、盛り上がるのかなと心配だったんです。ところが、唯一そこは弾けてもいい場所ということで、ステージに上がるとかつてないほどの大歓声で迎えてくれたんです。すごい手応えで、エンターティナー冥利に尽きるという感じでした。

誰も口説いてはこない!?

――映画『花と蛇』(2004年)への出演は、〝エロスの伝道師〟と呼ばれるきっかけになりました。

杉本 実は当時、SMの世界のことを何も知らなかったんです。でも、東映さんから「杉本彩で映画を撮りたい」と声をかけていただき、色々と候補を探しているうちに団鬼六先生の原作を読んで衝撃を受けたんです。直感的に「監督は石井隆さんしかいない」と思いました。東映さんと石井さんには繋がりがなかったのですが、1年がかりで交渉が成立。その時点で「絶対にいい映画になる」と確信しましたね(笑)。


――公開時の宣伝文句には「今世紀、最も過激な濡れ場」と銘打たれ、本当に過激でした。


杉本 ハードルの高い題材ですし、多くのシーンはフルオープンに近い状態で撮影に臨むわけですから、女優というよりアスリートに近い感じでした。肉体的にも精神的にもきつくて、あれほど自分を追い詰めたことはなかったです。そこを乗り越えてやりきれたということは、自分はMの要素が強いのかなと思いますね。


――そんな杉本さんが近年、力を入れているのが動物福祉活動。2014年に公益財団法人『動物環境・福祉協会Eva』を立ち上げました。動物のために戦うのはなぜですか?


杉本 20代の頃、たまたま撮影所で野良猫が産んだ子猫に出会ったのですが、その中の1匹が病気で、放っておくと死んじゃうだろうという状況で保護しました。しばらく面倒を見て譲渡先を見つけたのが保護活動の第一歩でした。以来、見て見ぬ振りができなくて、個人で保護活動をしながら、資金を捻出するために私物をチャリティガレージセールするうちに地域に根付いていきました。


子供の頃から「弱きを助け、強きをくじく」性分なのですが、そんな私が大嫌いなのが動物と子供への虐待です。ものを言えない動物は、社会における最大の弱者です。弱い立場の命を軽んじる社会に、幸せはないと思うからです。私は縁あって動物と暮らしてきたことから、動物を取り巻く問題に気づくことが多かったので、動物を守る活動だけは徹底してやっていこうと決めたんです。個人の活動では限界があるので、今の団体を立ち上げ、講演や執筆、YouTube(Evaチャンネル)での啓発活動にも力を入れています。また超党派の動物愛護議連のアドバイザーとして、法改正などの政策提言も行なっています。

写真集のお話は…!?

――〝あの杉本さんが?〟とギャップに驚かれる方も多いのでは?

杉本 最初はそういうこともありましたが、団体を立ち上げて10年になり、認知されてきたかなと思います。


――政界からのお誘いもありそうですね。


杉本 与野党問わず、結構あります。でも、政党に入ればその一員としての行動を強いられますし、私の役割はもっと違うところにあるように思いますので、すべてお断りしています。


――読者としては、そろそろエロスの伝道師の一面も見たいのですが…。


杉本 それは夫からも指摘されるんですよ。「もう少しフェロモンを大切にした方がいいんじゃない?」とか、「セクシーな格好をするなどエロスを意識した方がいいんじゃない?」みたいなダメ出しをされてます。そこは私もちょっと反省してるんですけどね(笑)。


――55歳の今、フルオープン写真集などどうですか?


杉本 ありがたいことに、お話は結構いただくのですが、今のご時世、果たして売れるのかな…と、プロデューサー的な視点で見ちゃうんですよね。ただ、企画的に面白そうだな、とクリエイティビティがかき立てられればやりたいなという気持ちはありますよ。


――それはうれしいお言葉。そのためにはプライベートでもセクシーでいないと。ナンパとかされてますか?


杉本 いやぁ、実際問題、誰も口説いてはこないですよ(笑)。ここまで強くなっちゃうと、みんな恐れをなしてるんじゃないですか? 私としては一緒にお酒を楽しみ、会話を楽しむ、そして心の中でエロチックな妄想も楽しむ…そういうのが健全な大人同士のお付き合いなんじゃないかと思いますけどね。うふふ。
◆すぎもとあや 1968年7月19日生まれ。京都府出身。87年、東レ水着キャンペーンガールとしてデビュー。実業家としても活躍し、美容製品のプロデュース等を行う。9月にはオーガニックの固形シャンプー『Aya』を発売予定。現在、京都の自宅では保護した愛猫たちと同居中。