島田洋七 (C)週刊実話Web
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松中信彦から一度ももらえないサイン入りバット~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

コロナ禍前までは、毎年仲の良い友達が俺の誕生日会を開いてくれていたんですよ。2018年、テレビ東京の『たけしが行く!わがままオヤジ旅3with洋七』という旅番組で、たけしと石川県金沢市へロケに行ったんです。ちょうどロケの日が俺の誕生日と重なり、金沢の旅館で誕生日会を開くことになったんです。


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ニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜選手が星稜高校時代に通っていたカレー屋さんでのロケが終わり、友達を待っていました。その中の1人は〝平成唯一の三冠王〟松中信彦。野球が大好きなたけしに松中が来ると伝えると、「お前はいろんな野球選手と知り合いだな」、「同じ九州やから。今日は他にも友達が来て誕生日会をやってくれんねん」、「俺なんか誕生日会を開いてもらったことなんてないよ。松中って偽物じゃないだろうな」、「偽物の三冠王は来ないやろ」。


しばらくすると、松中らが到着。たけしに紹介すると「はじめまして。北野武です」と敬語で挨拶していましたね。たけしは年下だろうが、そういうところはきちっとしているんです。そうしたら、松中がサイン入りのバットをたけしにプレゼントしていました。


たけしやスタッフらと別れ、旅館で誕生日会が始まった。ふと松中がたけしにバットをプレゼントしたことを思い出したんです。俺は松中と何度も会っているけど、サイン入りのバットやボールを貰ったことがない。そのことをツッコむと、「洋七さんとはしょっちゅう会えるから、いつでも渡せると思いまして。それにたけしさんはやはり特別なんですよ」、「俺は普通で悪かったな」、「いやいや、そうじゃなくて。たけしさんはコメディアンとしても、俳優としても、映画監督としてもナンバー1じゃないですか。そんな人にバットをもらっていただいたらありがたいじゃないですか」、「俺は芸能界で400番くらいで悪かったな(笑)」、「洋七さんとは会えるけど、たけしさんには二度と会えないと思ったんですよ」。

すぐに会える気がする…

その後は飲めや歌えで大盛り上がり。それにしても松中は酒が強いですね。俺なんかハイボールを6杯くらい飲んだら酔ってきますけど、7杯は飲んでいる松中は「これくらいはまだ食前酒です」。現役を引退してまだ3年目くらいの頃でしたけど、走ったり、スポーツジムで体も鍛えているとも話してましたね。

子供のときから野球がうまかったのか松中に聞くと、「地元の熊本では小中学生からうまいと評価されていたんですけど、プロに入ったらもっとすごい選手ばかりでした」と言ってましたね。それでも平成で唯一の三冠王に輝いたんですから、よほど練習を重ねたんでしょう。プロ野球は本当にすごい世界ですよ。そんな会話をしながら誕生日会は無事に終わりました。


その後、律義なたけしは何度か自身が出演するスポーツ特番に松中を呼んだみたいですね。松中から連絡がありましたよ。


俺はそれからというもの、松中に会う度に「サイン入りのボールかバットをくれ」と催促しているんですけど、一度もプレゼントされた試しがないんです。毎回そのことを指摘すると「洋七さんとはすぐに会える気がするから、いつも忘れてしまうんです」だって。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。