島田洋七 (C)週刊実話Web
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岩下志麻さんの前で“仕事はほとんど司会”と見栄を~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

漫才ブームでレギュラー番組を17本抱え、大忙しだった頃、新幹線で大阪から東京へ戻っていたんです。京都駅に到着すると、グリーン車両に乗ってきたのが女優の岩下志麻さんでした。おそらく東映の太秦で撮影があったんでしょうね。しかも、座席が俺の横の列だったんです。


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綺麗な岩下さんに見惚れていると、目が合った。すると「島田洋七さんですよね? 隣の席にちょっと座っていいですか?」と岩下さんから話しかけられた。隣に座った岩下さんは「お忙しいでしょ。私もよく番組を見ているんですよ」、「ありがとうございます!」。そして、俺が漫才師になった理由や岩下さんが女優を志した時期など世間話を交わしていると、「ほとんど司会の仕事ばかりですよね?」と聞かれたんです。


当時は、レギュラー番組が17本あり、司会の仕事も多かったんです。でも、『ひょうきん族』などでは相方の洋八とカブトガニの格好でコントもしていた。綺麗な岩下さんを前に恥ずかしくて「はい、ほとんど司会です」と口がスベッてしまったんですよ。「頑張ってください」。そう言って岩下さんは自分の席に戻って行きました。


数カ月後、『ひょうきん族』の収録があり、洋八とカブトガニの格好のまま、フジテレビの通路で明石家さんまたちと話しながら、収録が始まるのを待っていたんです。茶色のメイクをして甲羅を背中に背負ったままですよ。そこに正月特番『大奥』の撮影中の女優さん4~5人が着物姿で通りかかったんです。

カブトガニ姿でご挨拶…

よく見ると、岩下さんもいるじゃないですか。俺はカブトガニの格好を見られるのが恥ずかしくてね。壁に顔を向け気が付かれないようにし、通り過ぎるのをじっと待っていたんです。無事に見つからずに4~5メートル離れたところで、さんまが「兄さん、なんで隠れてはるんですか?」、「女優さんにこんな姿を見られたらカッコ悪いやろ」。そうしたらさんまが独特の笑い声を上げた。その笑い声に女優さんたちが全員パッと振り返ったんです。岩下さんに見つかってしまいましたよ。

岩下さんから「この前は新幹線の中でお話しいただきありがとうございました。司会だけじゃなくて、こういうお仕事もなさるんですね?」。恥ずかしい俺は「ほとんどしませんけど、今日はたまたまです」と返すと、さんまが「毎週やってますやん」と余計なことを言う。「うるさい。この野郎(笑)」。


そうしたら岩下さんが「良いじゃないですか。楽しそうで。なかなかカブトガニの甲羅を背負う仕事なんてありませんよ。お笑いのお仕事をする人、私大好きなんです。奥さんも大事にしてくださいね。それではまた。失礼します」と、撮影に行ったんです。


聞き耳を立てていたさんまは「兄さん、岩下さんになんて言いました?」と問い質すから、たまたま新幹線で挨拶をされて、司会の仕事ばかりしているという会話のことを話したんです。


「ひょうきん族で、こんなこともやっていると話せばよかったやないですか。しかも、岩下さんと世間話をしているときも、甲羅を背負ったままの格好で敬語で話して。こっちからはアホに見えまっせ」


「ほっとけ。急にカブトガニのメイクや甲羅は外せないやろ」
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。