辰𠮷丈一郎「いつ来るか分からんチャンスってあるじゃないですか」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第63回
当時、国内最短のデビュー8戦目で世界王座に駆け上がり、天才ボクサーと呼ばれた「浪速のジョー」こと辰𠮷丈一郎。その後は度重なる眼疾に苦しみながらも二度の王座復帰を果たし、そして今も本気で四度目の戴冠を目指している。
今年1月、4階級制覇を目指す井上尚弥が、4団体の世界バンタム級王座を返上したが、そのうちの一つであるWBCのベルトをめぐり、およそ30年前の1994年12月に伝説の死闘が繰り広げられた。
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王者・薬師寺保栄と、暫定王者・辰𠮷丈一郎による王座統一戦。93年に網膜剥離が発覚した辰𠮷は暫定王座をいったん返上したものの、翌年には復帰を果たしてWBCから再び暫定王座を与えられた。その間に正規王者となったのが薬師寺だった。
世間的な知名度は圧倒的に辰𠮷が上。復帰の際には「網膜剥離の状態の悪化、もしくは敗戦の場合は引退とする」とのJBC(日本ボクシングコミッション)からの書面にサインをしており、「負ければ即引退」の辰𠮷を応援する声はすさまじかった。
当時、デビュー8戦目で世界を奪取した天才ファイターの辰𠮷と、デビュー23戦目でようやく王者となった遅咲きの薬師寺。両者の実績からも、辰𠮷の勝利は確実とみられていた。
そんな世間のムードに反発したのか、薬師寺は「当日はベルトに〝暫定〟と書いてこい!」と舌戦を挑んだが、辰𠮷は「向こうが正式なチャンピオンやから僕のほうがチャレンジャーいう形になってるんやろうけど、僕としてはやってあげるという感じやね」「あの年齢になって髪の毛染めるようなっちゃアカンよ」などと終始、余裕の態度を崩さなかった。
しかし、試合は辰𠮷が序盤に放った左ストレートが薬師寺の頭部に当たり、拳を骨折。それでも足を止めることなく前に出続けて、両者ともに顔面を腫らし、流血する激闘となったが、結果は12回フルラウンドの末に決め手を欠いた辰𠮷の判定負けとなる。
辰𠮷はリング上で薬師寺を抱え上げて勝利をたたえ、「薬師寺君は強かった。試合前に侮辱したことを謝りたい」と潔く敗戦を認めた。
だが、一方で「負ければ引退」の約束については、これを拒否。翌年にはアメリカで復帰戦を強行したことで、JBCも渋々ながら現役続行を許諾した。
その後、辰𠮷は2階級制覇を目指し、1階級上のスーパーバンタム級で世界王座に二度挑戦したが、いずれも完敗。世間には「もはや辰𠮷に世界は無理」との見方が強まっていった。
しかし、執念に燃える辰𠮷は階級を元のバンタム級に戻すと、97年11月に当時20戦無敗の王者、タイのシリモンコン・ナコントンパークビューの持つWBC世界王座に挑戦する。
今なお〝現役〟にこだわり続ける
ファンの大声援を受けた辰𠮷は、序盤から攻勢に出て5回にダウンを奪取。王者の捨て身の反撃に苦しみながらも、7回には左ボディブローで二度目のダウンを奪い、圧倒的不利の下馬評を覆して王座に返り咲いた。場内では辰𠮷コールが鳴りやまず、興奮した若者がリングに殺到した。その後、二度の防衛を果たした辰𠮷は98年12月、三度目の防衛戦でタイのウィラポン・ナコンルアンプロモーションと対戦するが、連打を食らい続けた末、6回にこめかみへの直撃弾を受けて仰向けにダウン。プロボクサーとなって初めての失神KO負けを喫した。
翌年8月、リターンマッチに挑んだものの、一方的に打ち込まれて7回TKO負け。ウィラポンは2005年4月に長谷川穂積に敗れるまで、14度の防衛を果たすことになるが、辰𠮷は試合後に「普通のお父っつあんに戻ります」と現役引退を表明した。
しかし、またしても引退を撤回し、「他人の目や評価を気にして生きても一生、自分の好きに生きても一生。だったら思い通り生きてみたい」と、02年12月に復帰。その後、脚の負傷で長期休養を余儀なくされると、所属ジムは試合を組む意思がないことを明言した。
直近の試合から5年が経過した08年9月には、JCBの規定により「引退選手扱い」となった。それでも辰𠮷は現役にこだわり、同年10月にはタイに渡って復帰戦を強行し、地元の若手から勝利している。
09年3月の試合で敗れた後は正式な試合を組まれていないが、50歳を過ぎた今も現役復帰を諦めておらず、「毎朝ロードワークをして、ジムで練習できる日はジムに行っている。食事は今も1日1回だけ」と語る。
プロライセンスはとっくに失効し、正式な試合をすることはできない。それでも辰𠮷は「いつ来るか分からんチャンスってあるじゃないですか」と、その日に備えている。
辰𠮷を愛してやまないサポーターたちが立ち上げたホームページのトップには、「辰𠮷は、今も本気で4度目の世界チャンピオンを目指しています」と、しっかり記されている。 《文・脇本深八》
辰𠮷丈一郎 PROFILE●1970年5月15日生まれ。岡山県出身。中学卒業と同時にプロボクサーを目指して大阪帝拳ジムに入門。元WBC世界バンタム級王者。91年に日本プロスポーツ大賞を受賞。プロボクシング戦歴:28戦20勝(14KO)7敗1分。
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