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グラビアアイドル/ちとせよしのインタビュー〜“H級の有村架純”童顔豊満と大食いキャラで人気〜

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ちとせよしの(C)週刊実話Web

ちとせよしのは佐賀県から上京してグラビアデビュー。その約1年後(2019年)、「H級の有村架純」と騒がれて一気に知名度を上げた。爆豊満の魅力と天真爛漫な大食いキャラに飛びついたファンの後押しにより、これまでイメージDVDは17枚、紙の写真集2冊、デジタル写真集に至っては37冊もリリースするなど、グラビア界の超売れっ子となった。そんな彼女の「今」に迫った!

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――『ものまねグランプリ』(日本テレビ系)の特別コーナー〝顔だけそっくりショー〟で大注目され、「H級の有村架純」と言われたわけですが、あれから4年経ちました。ものまねの本家(?)有村架純さんには会えたんですか?

ちとせ それが、まだお会いできてないんです。でも、お姉さんの有村藍里さんとは面識ができて、彼女はアパレルブランドもやってるじゃないですか(編集部注:『rose bleue』のこと)、今日私が着ているのも、そのお洋服なんですよ。

――お姉さんには、ものまねの評価を聞きましたか?

ちとせ 特には何も。ただ、某イベント会社の人づてに聞いた話だと、「(本人が)似てるねと言ってたよ」ということでした。でも、ずっと有村さんに申し訳ないと思っていたので、その方には謝っておいたんです。「そんなに似てないですよね。他人のふんどしで相撲を取ってるようで、すみません」って。

――謙虚だなぁ。

ちとせ ファンの方も言ってくれるんです。「似てると言われるのはむしろ嫌。よしのちゃんはよしのちゃんだから」って。それに、ぽっちゃりしすぎててあんまり似てないと思うんですよね。

――デビュー当時から純朴さとぽっちゃりは売りでしたからね。そもそも、いつ頃からH級になった?

ちとせ 小学生の頃から大きくて、自分1人だけブラジャーを付けてることに「?」と思ってはいました。大成長したのは高校生になってから。自転車通学だったんですけど、学校までの片道13キロの間に全部のコンビニがあったんです。母は食べさせてくれなかったのですが、私は通学途中で菓子パンの魔力に取り憑かれてしまいまして(笑)。A店で菓子パン、B店でスイーツ、C店では…と毎朝ハシゴで買い食いをしていました。帰りも同じで、途中にある祖母の家でもお菓子を食べてたので、すくすく太って高校3年間で10キロは増えましたね。同時に豊満もサイズアップしたんです。ちなみに、高校生のときの私のあだ名は「残飯処理班」(笑)。給食の残り物は全部私のところに集まってきていました。

SNSでのスカウト

――で、高校を出てからは地元の鉄工所に勤務したわけですね。

ちとせ はい。ヘルメットをかぶって現場にも行きました。当時のお給料は手取りで14万円くらい。働いたのは1年弱程度だったのですが、その間は自転車通学が自動車通勤になったので、せめてもの運動がなくなってさらにぶくぶく…。以来、私の人生はずーっとぽっちゃりです(笑)。

――当時の同僚男性は、よしのちゃんの豊満な肉体に気付いてなかった?

ちとせ 作業着に隠れていたので、意外と分からなかったみたいです。

――そんな子がスカウトされたのはSNSへのDMがきっかけだったとか?

ちとせ そうなんです。もともと芸能界に憧れはあって、私服でインスタに写真をアップしていたら、今の事務所の社長さんが見つけてくれてDMをくださったんです。実は、私の周りにはSNSでスカウトされた子が何人かいて、「私にも声がかかったらいいな」という気持ちはありました。

――まんまと作戦が成功したわけだ。でも、グラビアをやるということになったら、大きいだけじゃダメだと気付いたんじゃない?

ちとせ そうなんです。デビュー直後に、としまえんでのプール撮影会があって、みんなビックリするくらいにスタイルがいいんですよ。特に私の隣はとんでもない人気のえなこさん。そこで思いましたね。「ああ、生きてるだけじゃダメなんだ。やっぱり努力しないと上には行けないんだな」と悟りました(笑)。それからは筋トレに励んでます。

――いったんは痩せたわけですね。ところが、コロナ禍になって始めたYouTubeチャンネル『よしのんチャンネル』では、ラーメンなど合計3.5キロの料理を食べまくる動画をアップ。そこから大食いキャラが注目されてしまった。

ちとせ テレビ東京の『デカ盛りハンター』という番組から声をかけていただいて、スシローの人気メニューを2時間で39品食べたんです。実はその日、やや細くなって撮影したファースト写真集を発売した当日だったのに…。そこから大食いの仕事が舞い込んで、またもやぽっちゃりに逆戻り。今も「ややぽっちゃり」と「ぽっちゃり」の間を行き来してますが、モデルさんと違い、グラビアは8キロ太ったときでも仕事はあったので、「自分が自信を持てる体型でいる方がいいかな」と思い、筋トレしつつ食べてます。

明らかに違うファン層

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ちとせよしの(C)週刊実話Web

――YouTubeでは筋トレの動画も評判らしいですね。2年前は35キロのバーベルだったのが、今は60キロもあげちゃうとか?

ちとせ はい。ファンの方は私の動画がきっかけで筋トレを始めてくれたり、もともとマッチョな方がイベントに来てくれたりもします。「ファン層が違うね」とグラビア仲間の子には言われてます。筋トレ女子の方は動画を流しながら鍛えてるらしくて「フォームがきれい」といったコメントが来るとうれしいですね。

――グラビアを始めて5年。明らかに変わったことはありますか?

ちとせ 生活の質は向上したと思うんです。スシローの黒金の皿も躊躇なく食べられるようになったし(笑)。あとはお部屋が広くなりました。最初は「東京まで乗り換えなしの1本だよ」と社長にダマされて戸塚に住んでいたんですが、交通費がめちゃめちゃかかるんです。今は部屋の広さも倍くらいになって、出前も取り放題。故郷の佐賀では田舎すぎて出前も取れなかったので、ウーバーイーツでピザとか焼肉弁当とかを頼めるのがうれしくて。

――残飯処理班がグラビアをやってることに対して同級生、特に男子は驚いてるのでは?

ちとせ もともと友だちが少ないんですけど、唯一小5から仲の良かった女友だちがいて、彼女は当時から私の胸を見て「あんた、グラビアやれるんやない?」と言ってくれてたので、「ほんとになったね」と言ってくれてます。

――男子の反応は?

ちとせ 胸のことは結構イジられたので、男子が苦手だったんですよね。高校ではよっしーと呼ばれていたのですが、体育祭のときに応援団をしたら「♪おっぱい、ボーンボーン、巨乳のよっしー」っていう応援歌を歌われたり。そんなわけで男子の連絡先も知らないし反応は分かりません。

――かわいいしモテそうなのに、男子嫌いだったとは…。そういえば下ネタもNGですもんね?

ちとせ はい。そっち系の質問には素直に答えないようにしています。(笑)。

――じゃあ、一番モテたのはいつ頃?

ちとせ 中学のときに職場体験で保育園に行ったんです。そしたら、男の子5人くらいに両手を引っ張られて奪い合い。あのときがピークでした(笑)。それに、グラビアの人って案外男性と知り合えないんですよ。私の場合は、バラエティーとかに出てもさっさと帰っちゃうので誘われることも少なくて。

――ガードが固いんだ。

ちとせ そうですね。SNSからDMをくれるような、スポーツ選手とかバンドマンみたいなチャラい人は好きにならないし。なんか、ナメられてるみたいで悔しくなっちゃうんです。とはいえ、事務所の社長からは「もしも大谷翔平さんからDMが来たら即グラビア辞めてアメリカに行け」とは言われてます。来るわけないけど(笑)。

◆ちとせよしの
2000年1月8日生まれ。佐賀県出身。T158、B95・W65・H98センチ。デビューDVDは『ピュア・スマイル』(竹書房)。8月30日には18枚目のDVD『恋せよ乙女』(スパイスビジュアル)が発売予定。ツイッター@chitose_yoshino

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