(画像)sakiflower1988/Shutterstock
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『性産業“裏”偉人伝』第21回/売春島の元娼婦~ノンフィクションライター・八木澤高明

私が眺めていた島は三重県の志摩半島にある渡鹿野島である。その名を聞いて、「売春島」というキーワードを思い浮かべる人も多いのではなかろうか。


私は2013年に初めて島を訪ねてから、今回で三度目の訪問になる。


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島がまさに売春島の名の通りだったのは、1980年代のことだった。その当時、島にはおよそ250人の娼婦たちがいたという。


ちなみに、現在の島の人口は160人ほどだ。往時は島の人口も今よりは多かっただろうが、人口の半分近くが娼婦だったことは、間違いないだろう。


その当時、島には日本人娼婦もいたが、そのほとんどはタイなど東南アジアから来た女たちだった。日本人の娼婦の中には、ホストクラブにツケが溜まったキャバ嬢などが借金返済のために送り込まれたこともあったという。


私が初めて島を訪ねた頃、すでに往時の面影はなかった。それでも島にはタイ人の娼婦が8人、日本人娼婦が5人暮らしていた。


タイ人娼婦は島に数多くあるアパートの一室に暮らしていて、そこに客の男を招き入れていた。アパートは5部屋あったが、ほとんど空き部屋で、暮らしているのはその娼婦だけだった。


「みんな捕まっちゃったよ。昔はいっぱいいたけど、稼げないから、いなくなっちゃった。もう女も少ないから(売春は)なくなるよ」


彼女の話しぶりから、寂れた島の状況が十分に伝わってきたのだった。渡鹿野島の売春では、泊まった旅館やスナックを通じて女を斡旋してもらい、女の部屋を訪ねて事に及ぶ。2時間のショートで2万円、夜10時から朝7時までの泊まりで4万円が相場だった。


そもそもこの島が売春の島となったのは、江戸時代初期のことだ。徳川家康によって江戸幕府が開かれると、東海道などの陸路と同時に江戸と大阪を結ぶ航路が開かれ、船が物流の中心を担うようになった。江戸と大阪を結ぶ中間地点に位置する渡鹿野島のある志摩半島は風待ちの港として、大いに栄えたのだった。そして風待ちの船に乗り込み体を売った娼婦たちを「はしりがね」と呼んだ。江戸時代以降、航路が寂れると、はしりがねは消えたが、この島には売春の伝統だけは残ったのだった。


時代だけが、どんどん変わるなか、漁業以外にさしたる産業もない志摩半島の小さな島の人々は、売春という果実を手放さなかった。


ただ、日本経済がバブル崩壊やリーマンショックなどにより冷え込んだことや、風俗産業への風当たりが強くなり摘発が頻繁に行われるようになると、この島も世の中の風潮と無縁ではいられなくなる。そして、徐々に売春と手を切る人々も現れ始めたのだった。


そうした状況の中、16年5月に行われた伊勢志摩サミットの影響によって、島に暮らす娼婦はいなくなった。


実際に島に足を運んでみたところ、かつて娼婦たちが暮らしていたアパートは廃虚となっていた。


島で暮らす男性によれば、今も遊ぼうと思えば島の外から娼婦を呼ぶことはできるという。だが島に暮らす娼婦がいなくなった時点で、江戸時代から続いた風待ちの島での売春は終わったと言っていいだろう。

「毎晩、夜祭りみたいだった」

私は1980年代、島の売春が最も賑わった頃に、この島で体を売っていた日本人の元娼婦に話を聞くことができた。現在、60代後半の彼女は、今も島から近い町で清掃のアルバイトをしながら暮らしていた。

「昔は観光バスで桟橋まで乗り付けてきて、男たちがたくさん船で渡ってきたわ。伊勢参りといえば、伊勢神宮に行くことじゃなくて、渡鹿野島で遊ぶことだったんよ」


彼女は昔話ができて嬉しいのだろうか。笑顔を浮かべながら話し続けた。


「当時はすごかったな、毎晩、夜祭りみたいだった。島の港の前の通りは、肩と肩をぶつけながら男が歩いていたわ。女の子もたくさんおった。スナックでも酒なんて飲まさんで、女の子をひな壇みたいにして並ばせて、その場で選ばせていたんよ。店も儲かって儲かって仕方なかったよ。一晩で一斗缶が札でいっぱいになったんやから」


その時代、島の地価は一坪50万円以上、スナックの賃料は1カ月100万円が相場だったという。当時は外国人娼婦たちのために新しいアパートが島の至るところに建てられた。


娼婦を買えるのは、何もスナックばかりではなかったという。


「私はな、年がいってたから、男の人を相手をする商売をやめてな。たこ焼き屋をやっていたんよ。そこでも、女の子と遊びたいとお客さんに言われれば、女の子を紹介してたんよ」


極端な話だが、島の誰でも元締めの人間と繋がっていれば、商売は可能だったのだ。さらに売春の斡旋だけでなく、アパートを建てるなどして娼婦たちに部屋を貸し、財産を築いた人もいたという。廃虚となったアパート群は、娼婦や島の人々の夢の跡なのである。


島の賑わいは、警察をものみ込んだと彼女は言う。


「取り締まりに来た刑事が、店の女将と結婚してしまったからな。ただ、その男性も、晩年は哀れだった。女将が若い男を作って放っておかれ、寂しく死んだんよ」


そんな売春島も、静かにその灯を消そうとしている。最近では、修学旅行の場所としても選ばれたという。新たな顧客を迎えようと、島は動き出しているのだ。


よそ者の勝手な思いだが、そんな島の変化を寂しいと思うのは、私だけだろうか。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。