島田洋七 (C)週刊実話Web
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自宅で夕飯をごちそうしたコミックバンド「ヒップアップ」~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

3人組のコミックバンド『ヒップアップ』というグループがいたでしょ。彼らは、俺らより下の世代で漫才ブームに少し遅れて出てきたんです。中でも、半裸で歩くアダモちゃんこと島崎俊郎は、漫才ブーム後も『オレたちひょうきん族』などのテレビ番組に出演していたから覚えている人も多いんじゃないかな。


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俺らが『笑ってる場合ですよ!』の司会を務めていた頃、彼らと番組で一緒になったことがあったんです。「飯でも行こうか?」と誘うと、「ありがとうございます!」と言うから、どこへ連れて行こうかと迷っていたら大事なことを思い出した。当時、仕事が忙しかった俺はテレビ局にも近いホテルニューオータニによく泊まっていたんです。嫁や子供のいる自宅にはたまにしか帰っていなかったんですよ。


ヒップアップを飯に誘った日は、仕事が早く終わるから自宅で夕飯を食べると嫁に伝えていたんです。それで「ごめんな。1カ月ぶりに早う終わるから、嫁が夕飯を用意して待ってんねん。家に帰らなあかんねん」と断ると、「僕らも家に行っていいですか?」と3人が言う。すぐさま嫁に電話で確認すると、3人分の夕飯を用意できるとのこと。


自宅に着くと、嫁さんは「先にシャワーでも浴び」と俺らに勧めるんです。嫁は仕事が終わると、汗をかいているから先に風呂に入れというタイプなんですよ。田舎出身なのもあるかもしれませんけどね。そうしたら3人とも「えっ、新しい下着がないですし」と困っている。嫁は「おとんの新しいパンツをあげるから」。よくよく足元を見ると、3人のうち2人は靴下に穴が開いていた。そのことをツッコむと「僕らは洋七さんのように稼いでませんから。最近ですよ、テレビに出始めたのは」。

「見栄を張るのが人生で一番の敵」

シャワーを浴びて、新品の下着でスッキリした彼らと夕飯を食べ始めると、若いから食べる食べる。3人ともご飯を3杯もおかわりしていましたね。2時間ほどで食事を済ませると、お礼にと彼らがネタを披露してくれたんです。まだ、うちの子供は幼稚園と小学校低学年と幼かったから、ギャグが理解できずにくすりともしませんでしたね。嫁さんは面白かったようで、ものすごくウケていました。

俺らが夕飯を食べている間、嫁は「靴履いたら、足の底までは見えへん。見栄張ってる場合とちゃう」と言って破れた靴下を縫ってあげたんです。嫁は芸能人の嫁だからといって、贅沢することもないんです。


今は浅草などで活躍している『新宿カウボーイ』のかねきよ(勝則)は昔、なんばグランド花月の進行係をしていたんですよ。当時から、髪の毛が薄くてね。前髪はまだ残っていたんですけど、後ろがさみしかった。楽屋で「気にならんのか?」と聞くと「気になりません。自分で後ろから見たことないからわからないです」。それを聞いていた楽屋にいた芸人は爆笑でしたね。


ばあちゃんが「見栄を張るのが人生で一番の敵」と言っていた言葉を思い出しましたよ。靴下の穴も薄くなった髪の毛も、すれ違う人は気にも留めないでしょ。ばあちゃんと似たような感覚を嫁さんは持っているんです。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。