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五木寛之“ツキ一貫で押す永遠のビギナー”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

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五木寛之が『青春の門』『戒厳令の夜』『四季・奈津子』などを発表し、エンターテインメント小説のトップランナーとして疾走し続けていた1970~80年代は、いわゆる「文壇麻雀」の隆盛期でもあった。五味康祐、藤原審爾、山口瞳らの有名どころ、さらに佐野洋、三好徹らミステリー畑からも多くの作家が名乗りを上げていた。

麻雀の持つロマン性と作家の想像力にはある種の共通部分があって、それらを巧妙に融合させる素養に恵まれた者は〝雀豪作家〟と呼ばれた。その一方、雀豪と対極の位置にいたのが趣味として麻雀を楽しむ者で、その筆頭が五木であり、吉行淳之介であった。

五木の場合、自他ともに認める〝ツキまかせ〟の麻雀で、勝率はよくない。ギャンブル用語で言うならカモの部類に属しており、同世代の作家で親しい麻雀仲間の生島治郎によれば、五木の雀力は「カモの下のアヒル」だという。

生島が月刊小説誌『小説推理』で対談企画のホスト役を務めていた折、ゲストに招いた五木との会話の中で、こんなやり取りがあった。

五木「ところで今日の麻雀、何時から?(笑)」

生島「そんなに負け急ぐこともなかろう(笑)」

(双葉社『生島治郎の誘導尋問 眠れる意識を狙撃せよ』所収)

サブカルチャーについて論じていた矢先、アフター対談の麻雀開始時間を気にする五木と、絶好のカモ(アヒル)を目の前に悠然と構える生島――そんな光景が目に浮かぶようである。

カモはネギを背負って来るものだが、アヒルは何を携えてくるのだろう? カモを家禽化したアヒルは、首が長く脚が短い。泳ぎはうまくても飛べない。つまり、いくら(麻雀で)逃げても、捕まえるのは簡単ということだろうか。とにかく生島にとって、五木は上得意先であったようだ。

ひたすらその日の波に身を任せていく…

当初から五木は、限りなく麻雀の技術を磨き、不敗に近づけていくことを目指していない。その代わりに一つの目標、仰々しく言えば志があった。

それは、一貫してツキで麻雀を打つこと。当時の五木は連載小説を4~5本抱えており、執筆していないときにも、それらの登場人物が頭の中を駆けめぐる。せめて息抜きの麻雀タイムだけは、すべてを忘れたいと、無の心境で卓につく。

麻雀牌の呼称や複雑な点数計算、自分の捨て牌さえも忘れ、ひたすらその日の波に身を任せていく。これが五木麻雀の本質で、人はそれを「オカルト流」、あるいは裏ドラがよく乗ることから「裏ドラ流」などと呼んでいた。

13枚の配牌を手にしたとき、誰しもいったんは最高の手役を頭に描くが、ツモ牌によってはベストよりもベター、時には最小の上がり役にまで目標を下げていく。しかし、五木は他人が何と言おうともツキの極限にチャレンジする。

麻雀というゲームは、あがらなければ一文の値打ちもない。それを承知の上で、五木は頑として最高目標に向かう。

当然、そのために大きなリスクを背負うが、しばしば超ド級のあがりをものにする。裏ドラが面白いように乗り、海底ツモでのあがりも少なくない。

灘麻太郎が五木に出会ったのは70年代、あるタイトル戦の会場だった。当時はプロの数も少なく、小島武夫、古川凱章、灘のほか10人に満たない。したがってタイトル戦のメンバーはプロ数名と、あとは有名作家や雀豪と言われていたタレントたちである。

5~6人の輪の中に五木がいた。灘がポツンと座していると、つかつかと五木が近づいてきた。

「灘さんですか…はじめまして、五木寛之です」

心中で灘は思った。

(売れている人は違う。たいして名のない俺のところに、気軽にあいさつにくるとは…)

お飾りから花形雀士に変貌

この後、五木は何を考えて麻雀を打っているのかと興味が湧き、記者とのやり取りを聞いていた。

五木「僕の麻雀は、普通の常識で論じるタイプじゃないですよ。今日はテンパイしたら即リーチをかけるんだと決めた日には、正直言って、たとえ危険牌でも即リーチをかけないのは信念にもとると…」

記者「しかし、時にはおりなければ…」

五木「ある意味で僕は、1人麻雀なんですね。手を見て、これは混一色、清一色ができるといった予感がすると、ある1種類の牌が3分の1ぐらいしかなくても押していって、できるという場合がよくあります。もちろん邪道ですが、僕は仕事や生活は営々とやってるから、麻雀ぐらいわがままを通させてもらいたい」

記者「好きな手は…」

五木「やっぱり麻雀というのは、いろいろ理屈を言うけど、面白いものだと思えるうちは幸せなんじゃないかな。好きな手は4巡ぐらいでポーンとリーチをかけて、一発でツモるっていうのが一番気持ちいいね」

五木が誌上タイトル戦に出るのは、彼自身の言葉で言えば「プロ雀士の引き立て役」であり、もう一つは「麻雀界を面白くしてやろう」というサービス精神からであった。つまり、最初はプロ雀士の〝添え物〟であり、〝お飾り〟にすぎなかったわけだが、結局は様変わりして、誌上対局の花形雀士となり、脇役から主役の座に移っていった。

以前に「雀聖戦」というタイトル戦で、プロ3人を相手にぶち抜きトップを取ったこともある。常識では計り知れない勝負強さが確かにあるのだ。

(文中敬称略)

五木寛之(いつき・ひろゆき)
1932(昭和7)年~。福岡県生まれ。早稲田大学中退。作詞家を経て66年『さらばモスクワ愚連隊』で作家デビュー。67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。著書は『親鸞』『大河の一滴』など多数。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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