『ジュリーがいた沢田研二、56年の光芒』文藝春秋
『ジュリーがいた沢田研二、56年の光芒』文藝春秋

『ジュリーがいた沢田研二、56年の光芒』著者:島﨑今日子~話題の1冊☆著者インタビュー

『ジュリーがいた沢田研二、56年の光芒』文藝春秋/1980円
島﨑今日子(しまざき・きょうこ) 1954年、京都市生まれ。ノンフィクションライター。著書に『森瑤子の帽子』(幻冬舎)『安井かずみがいた時代』(集英社)『この国で女であるということ』(教育史料出版会)『だからここにいる』(幻冬舎)などがある。
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――圧倒的な熱量でジュリーへの愛が伝わってきます。島﨑さんがジュリーを取材しようとしたきっかけは、何だったのですか?


島﨑 21世紀になる直前、映画のプロモーションで沢田研二さんを初めて取材しました。威圧感がまったくなくて、取り繕わず、問われるままに妻への愛と尊敬を口にして、「共働きだから家事は五分五分でやっている」と50歳の男性が話したんですね。


同世代の多くの女性と同様、私もジュリー好きでしたが、ずっと虚像を追いかけていたので、そのとき、初めて彼の実の部分に触れた感覚があって、ぐっと心をつかまれ、書きたいと思いました。何度か取材を申し込みましたが、すべて玉砕。週刊文春の加藤晃彦前編集長に声をかけてもらい、実現するまでに実に20年以上かかりました。


――本人への直接の取材はかなわなかったそうですが、どのように取材を進めていったのですか?


島﨑 評伝を書きたかったので彼の出身地の京都を歩き回りましたが、突破口はなかなか見つけられませんでした。そこで彼と時代との関係性へと視点を移して資料を集めながら、関係者にアプローチしていきました。当初、口の堅かった方たちも「自分たちにとって大切な人なんだ」と徐々にお話ししてくださるようになり、紹介で取材の輪が広がっていったんです。私のというより、証言してくださった皆さんのジュリー愛で書き上げることができたという気がしています。

皆、ジュリーにぞっこん

――〝ボーイズラブ〟を切り口にしたそうですが、実際にジュリーを取り巻く男性を取材してどのように感じましたか?

島﨑 才能と実力があり、しかも美貌、その上真面目で努力家で男気があり、自分も人も裏切らない。もし自分の職場にそういう人がいたとしたら、女も男も周囲の人は触発されずにはいられないのではないでしょうか。ジュリーはまさにそういう人です。彼を取り巻く関係者の大半は男性でしたが、彼らは皆、ジュリーにぞっこんで、その欠点も含めて存在をまるごと認めていた気がします。皆さん、仲間であること、共に仕事をしたことを誇りに思っておられました。


――近年は〝ドタキャン騒動〟などで世間を騒がせました。ジュリーに対する思いの変化はありましたか?


島﨑 ファンの愛情と熱量の大きさは大変なもので、人生の中心にジュリーがいるんですね。彼のここまでのキャリアを追っていく過程で、その理由が分かったと思います。そのすごさは想像以上で、不世出のスターであることに納得しました。


(聞き手/程原ケン)