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オリエンタルラジオはまた舞台で漫才を!~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

オリエンタルラジオがまだNSC(吉本総合芸能学院)の生徒だった頃、俺やオール阪神・巨人の巨人、島田紳助が講師として教えたことがあるんです。巨人はツッコミ方や500人のホールでは最後方のお客さんに声が届くよう、紳助は漫才の組み立て方やネタの作り方を教えたらしいです。


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俺は2人から何を教えたかを聞いていたから20分、生徒相手にしゃべくりで笑かした。最後に「これくらいウケたら売れるわ。さよなら」と教室をあとにしたんです。まだ素人の生徒にいろんな先輩芸人がああせえ、こうせえと教えても何を学んだらいいか分からないでしょ。全員売れている芸人だから、各自の言うことが正解なんですよ。

数年後、オリラジはデビューしてすぐに売れた。中田(敦彦)が「本に俺のことを書いてあるから許可をください」と来たんです。そうしたら、「洋七師匠はパーッと来て笑かして、『これくらい笑かしたら売れる。さよなら』と去って行った」とNSCでの講義のことを書いてましたね。

オリラジとは、ルミネtheよしもとでも一緒になることがありました。舞台袖で見ていて、彼らは頭も良いし、ネタの作り方も上手い。笑いのセンスがあるなと見ていましたよ。何度かアドバイスを求められたこともありましたね。このまま順調に場数を踏めば、紳助くらいにはなるなと期待していました。そういう若手はそうはいない。俺が劇場で見て同じように思ったのは、中川家とブラックマヨネーズくらいですよ。

YouTubeも漫才も両方

ところが、オリラジはすぐに冠番組の司会を務めるようになり、舞台よりテレビで活躍するようになった。俺としてはもっと舞台に立って、漫才を磨けば…と思ってましたよ。テレビは名前が売れて人気が出るんです。でも、視聴率やスポンサーの都合で3カ月で打ち切りになることもしばしばあります。その点、舞台は視聴率に関係なく、息長く活躍し続けられますよ。

オリラジはだんだんとテレビで見かけなくなり、中田はYouTubeで人気が出たでしょ。今は人気があっていいかもしれないけど、60歳や70歳になってYouTubeをやり続けるのは難しいと思うんです。本来ならYouTubeも漫才も両方やっていてほしかった。そうしたらカッコイイでしょ。せっかく吉本の学校で漫才を学んで、センスもあるんだから、今でも寂しいなと思いますよ。

それにね、漫才は年を取るほど楽しくなるんです。芸人は、人前に立って笑わせる。その喜びを知ったほうがいい。ザ・ぼんちのおさむとはよく電話で話しますけど、翌日が舞台だと楽しそうですよ。

だから、彼らには今からでも遅くないのでまた舞台に立って、漫才をお客さんに披露してほしいんです。吉本を辞めましたけど、YouTubeで人気があるから、小さな劇場を借り、いろんな事務所の芸人を集めてやればいいんです。爆笑問題も未だに自分たちのライブをやっているでしょ。

講師としてNSCで教えたとき、たけしにそのことを話すと「お前は講師として呼ばれてるのにネタやって帰ってきて。まあいいけど、お前はどこ行ってもネタと嘘とホラ吹いて最高の人生だな」と言われました。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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