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議員となっても忘れない芸人魂~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

上岡龍太郎さんが5月に亡くなられましたね。俺は洋八と東京に引っ越すとき、たまたま新幹線で声を掛けてもらったくらいしか接点がなかったんです。上岡さんは横山ノック、横山フックさんとの『漫画トリオ』のメンバーだったでしょ。ノックさんとは何度か会ったことがあるんです。


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漫才ブームが終わってすぐの頃、家族でハワイ旅行に行ったんです。偶然、(島田)紳助とも一緒のホテルだった。お互い家族で来ていたから、子供たちが寝てしまった夜の10時ごろ、ホテルのロビーで無料のコーヒーを飲みながら話をしていたんです。すると、大きな声で笑いながらロビーに入ってきた人がいた。すぐに横山ノックさんだとわかりましたよ。

紳助と「ノックさんはすぐにわかるな。頭もピカピカ光っていて」と話していると、ノックさんが近づいてきたんです。「おはようございます」、「お前ら、俺の頭がピカピカ光っているといま言ってたやろ?」、「え?」、「悪かったな。こんだけツルツルして光っていて、どこからでもすぐにわかると聞こえたわ」、「言いました。すみません」。

続けて「お前らは兄弟弟子やな? 仲いいな。それにしても(今いくよ・くるよさんも含め)3組も弟子が売れるのは珍しいな」、「ノックさんは漫画トリオで売れて、その後、参院議員に当選してびっくりしました」、「国民の皆さんが票を入れてくれたからな」。

そんな会話をしていると、おもむろにノックさんから1万円札を渡された。なんでもかき氷が美味い店があるから、このお金で食べてこいと。お店の場所も詳しく教えてくれました。

まさかのドッキリ!?

翌日、子供たちとその店へ向かったんですけど、「○○ストリート」と言われても英語がわからないからたどり着けなかったんです。近くに大きな紙コップの中にガチガチに固まった氷に色鮮やかなシロップがかかったものを売っていたので食べてみたんですよ。日本のフワフワのかき氷と違いかち割りみたいでしたね。

ノックさんは絶対、これは食べてないだろうなと思いながらホテルに戻ると、またもノックさんに会った。「昨日、ノックさんに教えてもらった店は見つけられなかったんですけど、紙コップに入ったガチガチの氷の塊は食べました。むちゃくちゃ硬いじゃないですか」、「お前ら引っかかったな(笑)。俺も美味しいというから3分の1くらい食べたら、暖かいハワイで寒くなったわ」、「議員さんになっても俺らをドッキリカメラみたいに騙して、何やってるんですか?」、「議員やっていても芸人の血が抜けへんねん」。どんな国会議員かと思いましたよ。

新幹線でも何度か会いましたね。挨拶をすると「元気か?」。続けて小指を立てながら「洋七は女の子ナンパしてるか?」と大きな声で聞くんです。「議員先生なんですから、そんなこと聞かないでくださいよ」、「君ら芸人の顔見たら、芸人に戻るねん」。そんなことが3~4回ありましたよ。

でも、ノックさんの国会答弁を見ていると全く違う。やはり、弁が立ちますね。当時、「お笑いで売れた人は頭が良いな」と紳助と話していました。「俺らぐらいやな。頭悪くて売れたのは」、「ホンマですね」と紳助も納得してましたよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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