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『性産業“裏”偉人伝』第17回/色街研究家~ノンフィクションライター・八木澤高明

Sean Pavone
(画像)Sean Pavone/Shutterstock

色街やそこに生きる娼婦などに私が話を聞くようになって、かれこれ20年以上が経つ。まだまだ、巡るべき場所は多く、この取材の終わりは見えない。

そんな私の友人に、色街取材をライフワークとしている、峯岸という人物がいる。彼は市井の研究家で、年齢は55歳。彼との付き合いは、色街取材と同じく20年近くになる。

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峯岸は、色街関連の書籍や雑誌、写真集、色街が舞台となった映画やドキュメンタリー、さらには遊廓が保管していた客の名簿や女性を女衒から買った人身売買の記録など、色街にまつわる数多の資料を蒐集している。

文献や資料に埋もれて満足しているだけではない。月に一度は現役の色街を歩いて、遊んでもいる。

つまり彼の人生は、色街と娼婦に染まっているのだ。

なぜ、彼が色街に魅了され、情熱を傾けるのか、話を聞いた。

まず最初に、峯岸のバックグラウンドを簡単に説明しておこう。会社員の家庭に育ち、兄弟はなく一人っ子。経済的にはなんの苦労もなく育ち、都内の有名大学を卒業後、大手食品会社に就職し、現在に至る。いってみれば、色街とはなんの縁もない生活をしてきた。

そんな峯岸は、丸顔で眼鏡をかけ、常に笑顔を絶やさない。温和な雰囲気を漂わせている。

「つい先日は、有給を取って長野の上田を歩いてきたんですよ。上田の色街は、大阪と繋がりがあったりして、いい勉強になりました」

独身の峯岸は、わざわざ有給を取っては全国の色街を行脚し、資料の購入などに給料を惜しげもなく注ぎ込んでいる。色街に興味を持ったきっかけはなんだったのか。

「私は神奈川県の出身で、横浜の歴史に興味があったんです。江戸時代、横浜に外国人向けの遊廓ができたと知って、横浜の色街について色々と調べるようになりました。そうしたら横浜には、この100年の間にさまざまな色街が生まれては消えていっている。色街とは経済や人間の欲望と強く結びついていて、面白いテーマだと思ったんです」

アカデミックな視点から色街に興味を持ったという峯岸。一方で、先にも触れたが、色街で遊ぶことも欠かさない。

「私がよく足を運ぶのは、ソープランドですね。川崎や吉原、雄琴や中洲にも行きました。私は独り身で彼女もいないので、風俗の女性に癒やしてもらっています」

休日は、色街を行脚するか、ソープランドへ足を運ぶ峯岸。映画を見ることも趣味の一つだという。

平日、仕事から帰るとパソコンに向き合い、ネットオークションや書店などに貴重な資料が出ていないかチェックすることを欠かさない。落札額が10万円を超えることもザラだという。

明治に生まれたある娼婦の一生

「こんな資料がありますよ」と、峯岸が私に見せてくれたのは、明治時代から昭和にかけての、三重県伊勢市にあった神社遊廓に関するものだった。

伊勢市の神社遊廓は、伊勢神宮からもそう遠くない場所にあり、港の船乗りを相手にする遊廓として産声を上げたのだった。

その中で私の目に止まったのは、遊廓が管理していた遊女たちの名簿だった。全国各地にあった遊廓は、昭和33年に売春防止法が完全施行される前まで合法であり、働いていた遊女たちの出身地や娼婦となった理由などを記し、警察に提出しなければならなかった。

遊廓は、警察に提出したものと、自分たちで保管するためのものと、二つの名簿を作成していた。今回峯岸が見せてくれたのは、遊廓が保管していたもので、関係者の子孫がオークションに出したものだった。

「娼妓名簿登録申請書」と書かれた資料には、簡潔ではあるが生々しい事実が記されていた。

娼婦の姓は谷口、明治40年生まれ。彼女は、実家が経済的に貧しく、家人も多いので、借金が年々膨らんでいき、返済の目処が立たないので娼婦になったという。彼女の生家の場所も記されていて、その土地を調べてみると、三重県と奈良県との県境にある山深い村の出身だと分かった。

神社遊廓で働き、一族を支えた名もなき娼婦。彼女は満足のゆく人生を送ることができたのだろうか。

峯岸が所有している資料には、他にも貴重なものがあった。

戦後、日本に進駐した米軍をはじめ連合国軍の兵士たちのための売春施設が日本各地に存在したが、その運営を託されていたのが特殊慰安施設協会(RAA)という組織である。そのRAAが、連合国軍兵士向けに発行していた施設のチケットがあった。これも同じく、オークションで入手したという。

チケットばかりでなく、米軍が進駐していた北海道の千歳で、娼婦と思しき女性が米兵に声を掛けている写真もあった。

峯岸は日本の売春史を語るうえで、とても貴重なものを所有しているのだった。

ちょっとした興味から色街に関心に持ち、いつしか貴重な資料を身銭を切って集めるようになった峯岸。

「色街に傾倒してしまった理由を考えていたんですけど、叔父さんがとある有名な作家と遊廓通いをしていたと親戚から聞いたんです。血筋ではないですが、叔父さんに導かれたのかなと勝手に感じていますね」

会社員を続けながら、峯岸の色街への探求はこれからも続いていく。そして、彼の存在は、日本の色街史を探る者にとって欠かせないものとなるだろう。

八木澤高明(やぎさわ・たかあき)
神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。

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