『力道山を刺した男 村田勝志』かや書房
『力道山を刺した男 村田勝志』かや書房

『力道山を刺した男 村田勝志』著者:山平重樹~話題の1冊☆著者インタビュー

『力道山を刺した男 村田勝志』かや書房/1980円
山平重樹(やまだいら・しげき) 1953年、山形県生まれ。法政大学卒業後、フリーライターとして活躍。『ヤクザに学ぶ』シリーズなど著書多数。近著に『爆弾と呼ばれた極道 ボンノ外伝 破天荒一代・天野洋志穂』(徳間書店)『サムライ 六代目山口組直参 落合勇治の半生』、(同)などがある。
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――力道山は刺されて死亡したと思っているファンも多いと思います。実は別の原因があったんですね。


山平 事件のあった『ニューラテンクォーター』は、東洋一のゴージャスなナイトクラブとして知られており、力道山も常連でした。村田さんは偶然トイレで居合わせただけでしたが、些細なことで口論になりケンカに発展。組み伏せられて馬乗り状態で頭をポカスカ殴られ、恐怖を感じた村田さんがナイフで刺して逃れたというのが真相です。力道山の手術は成功したのですが、1週間後、容体が急変して再手術。意識は回復せず亡くなりました。死因は穿孔性化膿腹膜炎とされていますが、いまでは「麻酔剤の過剰投与」「医療ミス」が指摘されています。


どこにでもいる子煩悩な父親だった

――そのときから村田は〝力道山を刺した男〟として、生きることになりましたが、どのような人物だったのですか?

山平 築地生まれの銀座育ち。江戸っ子で昔気質のヤクザです。小さい頃から〝突貫小僧〟と呼ばれていて、ケンカに負けて帰ると父親が包丁を持たせて仕返しに行かせたといいます。17歳の頃には練馬の少年鑑別所を出入りしていましたが、〝銀座の黒豹〟の異名を持つ、住吉連合会の本部長・小林楠扶氏と出会い、生涯の縁を結びました。小林氏は『ニューラテンクォーター』の用心棒を任されており、そのお陰でまだ若かった村田さんも店に出入りすることが許されていたのです。


――そんな村田ですが、娘(篠原光)が女子格闘家デビューしたというのも不思議な縁がありますね。


山平 光さんはもともとヤンチャな性分でケンカとなると血が騒ぐタイプでしたが(笑)、恋人がマウナケア・モスマン(後の太陽ケア)であったり、その叔父さんも力道山とタッグを組んだハワイのプロレスラーであったり、プロレスとは不思議に縁があり、ついには自らも『新宿プロレス』を主催する『電撃ネットワーク』南部虎弾の誘いで女子プロ格闘家としてデビューしました。


――かなり子煩悩な父親だったそうですね。


山平 世間では力道山を刺した凶暴な男のように語られていますが、実はどこにでもいる子供にアマい普通の父親でした。「力道山を刺した男」の看板は、ヤクザの世界では勲章になったようですが、一般社会ではかなり誤解され、マスコミには何か事件を起こすたびに針小棒大に報じられ、面白おかしく、揶揄されてましたね。光さんによれば、若い女には目がないくせに、からっきし弱くて、手玉に取られていたそうです。 (聞き手/程原ケン)