島田洋七 (C)週刊実話Web
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お店の外では“さん”付けで…~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

俺がまだ東京に住んでいた頃は、たけしと週に2回は飲みに行きましたね。寿司屋から飲み屋、そして、もう一度寿司屋へ行く。贔屓にしていた寿司屋が六本木にあったんです。夕方の6時半ごろ、たけしと2人で向かっていると、たけし軍団のそのまんま東がマネジャーと歩いていた。


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「殿、どこ行くんですか?」、「お前らは?」、「今から打ち合わせがあるんです」、「じゃあ、終わったら店に来い」、「間に合うようでしたら伺います」。


別れようとして歩き出したら、ホステスさんが2~3人通り過ぎると、「久しぶりです。ヒガぴょん。またお店に来てくださいね」と東に挨拶しているんですよ。たけしは「お前もいい大人なんだから、ヒガぴょんなんて呼ばすんじゃないよ。東さんって呼ばせろよ」。そう言い残し、俺とたけしは寿司屋へ向かったんです。


道中、「なんぼホステスさんでも、店だったらヒガぴょんでもエエけど、外で会ったら東さんだよな」と俺も言いましたよ。


寿司屋へ入ると、カウンターのいつもの席に通され、周りを見回すと、奥の方にはホステスさんと男性がいる。同伴だったんでしょうね。一番近くに座っていたホステスさんが、俺たちを見るなり「久しぶり! たけぴょん」。もう大爆笑でしたよ。「洋七、東に言うんじゃねえぞ」とたけしは気まずい顔を浮かべてましたね。


でも、その様子を見たホステスさんはポカーンとしている。だって師匠も弟子も〝ぴょん付け〟で呼ばれてることは俺とたけししか知らないですからね。

3人とも“ぴょん”呼び!?

しばらく世間話をしていると、突然、たけしが「洋七はもう少ししたら九州へ引っ越すんだろ? 俺は寂しくなるな」、「俺もあんたも大人やろ。寂しくなるわなんて小学生やないねんから。誰でもエエから友達を作ればエエねん」。

「売れてないときからの友達だからさ。売れてからの友達はみんな目的があって友達になっている気がする」


「気がするだけやって。みんながたけちゃんて来るんだから、友達をたくさん作ればエエやんか」


そんな会話をしていると、打ち合わせを終えた東が合流。3人で飲み食いして30~40分くらい経った頃、寿司屋から他の店に飲みに行こうとなった。勘定をしているたけしの後ろで、俺と東が待っていると、店の戸が開いた。ホステスさん2人組が入ってくるなり、俺の顔を見た1人のホステスさんが「本当に久しぶりですね。ようぴょん」。


たけしが俺の頭を叩き「お前も一緒じゃねえか。なんだこの低いレベルは。ぴょん、ぴょん、ぴょんて俺らは蛙か」。またも大笑いしましたよ。するとホステスさんが「そんなにおかしいですか?」。俺とたけしは3人が全員〝ぴょん付け〟で呼ばれたことを知っているけど、その子は知らないでしょ。東だって俺と自分がそう言われたことしか知らないわけだし。


帰り道、たけしは軍団には殿と呼ばれているけど、「やはり〝さん付け〟が良いよな」と話してましたね。3人で「お笑いはレベルが低いからな」と納得しましたよ。でも、それで良いんです。上から目線ではお客さんは笑ってくれませんから。ただ、店以外では〝さん付け〟が良いですよ。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。