あばれる君 (C)週刊実話Web
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インタビュー・大人気ピン芸人あばれる君~お笑いに出会い“サバイバル”に目覚めるまで~

テレビ番組内の「サバイバル」を担当し、昨年にはサバイバルにまつわる本も出版したお笑い芸人のあばれる君。丸坊主と白いタンクトップシャツで、大人から子供にまで幅広い人気を持つ芸人である。そんなあばれる君の芸人人生とはどうやってはじまり、今度は何を目指すのか?


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――『アイ・アム・冒険少年』(TBS系)で大活躍中ですよね。サバイバルの冠コーナーを持ち、昨年8月には『すぐに使えるサバイバル大全』(講談社)も発売し、子供ウケも抜群です。


あばれる君(以下、あば)「『冒険少年』は最初、それぞれさまざまな挑戦をするたくさんの芸人の中の一人として出演していました。その中で僕はサバイバル担当だったんです」


――当初からサバイバルだったんですね。


あば「スタッフさんに、高校時代に山岳部所属だったことを話していたのと、僕のガッツを見て『やれるのでは』と思ってくれたようです。やってみたら、けがをしたり虫に刺されて唇がとんでもなく腫れたりいろいろありましたが、自分に合っていてすごく楽しくて」


――手応えを感じたのはいつ頃ですか?


あば「結構最初の頃、僕のコーナーの視聴率が良かったと聞いたときです。サバイバル下では、ボケやすいこともお笑いとしての手応えになりました。テレビに出始めの頃に『熱い!』『痛い!』などのリアクションを大声で言おうと決めていたんですが、スタジオだと、リアクションが天井にぶつかって抜けきれない。サバイバル下だと空に抜けていくから、やりやすくて」


――ご自身のスタンスとも好相性で、サバイバルが大きな軸になったんですね。そもそも芸人を志したのは小学生の頃からだそうで。


あば「小4の頃からクラスのみんなを笑わせるのが好きで、小6の頃は『爆笑オンエアバトル』(NHK)を録画して見るのが楽しみでした。『タカアンドトシ』さん、『ルート33』さん、『ますだおかだ』さんたちがおしゃれで面白くてかっこよくて。中学生になると、コンビを組んで文化祭でネタをやりました」

謎のお笑い団体での修行

――ご両親は、そんなあばれる君をどう思っていたんでしょう。

あば「父親は教師だし真面目な家庭だったので、中学の頃から三者面談で刷り込むようにしていました。『将来は芸人になるから』と。でも、当然信じないんです。『ああ、頑張りなよ』なんて言われて」


――本気度を見せつけたのはいつですか?


あば「大学進学で上京していた19、20歳の頃、都内某所のお笑い団体に修業に行っていたときですね」


――お笑い団体に修業?


あば「本格的にお笑いがやりたくて大学のお笑いサークルに入ろうにも、僕の大学にはありませんでした。だから、ネットの『コンビ募集掲示板』で検索してひっかかった団体に入り、お笑いを学んだんです」


――どんなことをするんですか?


あば「泊まり込みで朝から晩までツッコミの練習をする、とか」


――「なんでやねん!」「違う!」みたいな(笑)?


あば「そうです。団長がとにかくすごくて、寝ると怒るし、団長よりウケると怒られるんですよ」


――おかしい匂いがぷんぷんします(笑)。


あば「先輩は『ネタをやらずトークだけで客を笑わせろ』と命じられ、消しゴムを勢いよく食べたんです。そうしたらお客さん泣いちゃったんです、怖くて」


――それは怖いです(笑)!


あば「団長は『ほら、おまえは客を笑わせることができなかっただろう』って」


――満足顔で言ってそうですね…


あば「でも、ライブ前の会場作りは楽しかったし、若さゆえにある程度の理不尽を受け入れる耐性はあって、その環境が当たり前だと思っていたんですよ。とはいえ、『ウケたら怒られるっておかしいよな』と確信に変わりつつあった頃、日本テレビ主催の学生お笑い大会に参加して、初めて外の世界に飛び出したんです。気分は坂本龍馬ですよ」


――(笑)。あばれる君にとっての夜明けだったと。


あば「それからいろいろな学生大会に出場しました。出場前に、まず賞金を調べるんです。優勝すると3万円とか高くて15万円が出ることもある。僕は団長が課すチケットの高額ノルマを背負っているので、命懸けでした。賞金稼ぎの、大学お笑い界の野良犬ですよ」


――かっこいい(笑)。


あば「主流は学生お笑いサークルで『ハナコ』の岡部大君が所属していた『LUDO』の人が出ていたり」


――早稲田大学の有名なお笑いサークルですね。


あば「それぞれの大学のお笑いサークルに所属していた『真空ジェシカ』さんや、明治大学お笑いサークル出身のサツマカワRPGにも会ったことがあります。そこで気付いたんです。後ろ盾がなく、ヤバい団長の下から来ているような学生は、俺だけじゃないかと」

卒業試験にギリギリ合格!?

――無頼派は1人だけだったと。

あば「2008年に『笑樂祭』という大会で特別賞をいただき、それから団長とは一度も会っていません」


――良かった…。特別賞受賞後、ワタナベコメディスクールに入学されたんですか?


あば「はい、もうびっくりしましたよ、楽すぎて。『寝ていいんだ!!』って」


――ハードルが低すぎます(笑)。どんな授業がありましたか?


あば「ダンスや演技があり、ネタの作り方を教わったヤマザキモータースさんは僕の恩師です」


――真っ当にお笑いの道に進めたことを実感します。


あば「1年後に卒業試験があり、事務所のマネジャーたちの前でネタを見せるんです。僕は『浣腸大戦争』というネタで。肩こり用のツボ押しバーをケツにギューーッと刺して。面白いと言ってくれたマネジャーさんが1人いて、無事卒業できました」


――他の方はなんと?


あば「ちょっと危険なんじゃないかこいつ、と」


――(笑)。あばれる君といえば、哀愁誘う熱血一人芝居に、鬼束ちひろさんの『月光』が流れる、というネタをテレビでよく披露されていましたよね。


あば「音楽を使わせていただいたのは、あるとき自分のネタが演劇っぽいことに気付いて、構成に変化を加えるために『音楽を流すのっていいな』とひらめいたんです。その中でも『月光』は『店長こだわりのグラタン』というネタを何度も何度も書き直しているうちに、ネタのフィーリングに合う歌詞だなと使わせてもらったのがきっかけです」


――音楽を聞きながらネタを書くんですか?


あば「悲しいシチュエーションの音楽を聴きながら、家賃5万の4畳半で、みかん箱を机にしていました。風通しのいい家で、玄関を開けっ放しにしていると大家のデカい犬が入ってくるんですよね。大家、ひと言も謝らなかったなあ…」


――(笑)。当時はバイトにも精を出していましたか。


あば「そうですね、バイト先の居酒屋さんでライブさせてもらったり。その店長がラーメン屋やたい焼き屋を手広くやっていて、いろいろなバイト経験をさせてもらいました」

YouTubeも好評配信中

――当時から現在の奥様とお付き合いを?

あば「はい。彼女はすごいですよ、看護師さんでしたからね。そこから頼りっきりの暗い歴史が始まります。同棲していた時期は折半の家賃を払えなかったり、誕生日を忘れたり。昼までに終わるバイトの日給8000円を居酒屋やギャンブルに使って15時には無一文になったり。家でバッドナイス常田と朝まで発泡酒を飲んで『いつか絶対抜け出そうな』と話しているとき、彼女は出勤していくんです」


――ドラマを感じます。そんな生活から抜け出したきっかけはありましたか?


あば「13年10月、テレビの仕事が入り『今から宗谷岬に行きます』といきなり連れて行かれて始まったのが『ポケモンゲット☆TV』(テレビ東京系)の『ポケモン交換の旅』でした」


――現在出演中の『ポケモンとどこいく!?』の前々身番組ですね!


あば「そこから生活が徐々に変わり、給料が9万円に達したとき、覚悟して結婚してさらに意識が変わりましたね」


――そして現在の活躍に繋がりますが、山で作る豪快メシや、極寒の雪山で身一つで行うソロキャンプ動画などのYouTubeも評判です。


あば「見たい人だけが見られるメディアなので、自分のボケを好きにやらせてもらって楽しんでいます」


――最近は気象予報士の試験にも挑戦されているとか。


あば「サバイバーとして自分を磨くべく、合格率5%の壁にぶつかってみようかと。仕事で関わっていることに誠実に向き合いたいと思ったときに、勉強してその分野を突き詰めたくなったんです。昔は、芸人として自分がどうなっていくのか不安な時期がありました。でも今は、どうなっていくのか分からないからこそ、未知数な自分の未来が楽しみですね」 (文◉有山千春/企画・撮影◉丸山剛史)
あばれる君 1986年、福島県出身。2008年に大学生お笑いアマチュア選手権大会『第2回笑樂祭』で特別賞を受賞し、大学卒業と同時にお笑い芸人の道へ。体を張った芸風で人気となり、2015年の『R-1ぐらんぷり』では決勝進出。現在はレギュラー番組を抱えるなど、多忙な日々を送っている。