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「貴乃花の乱」に懲りず…時津風親方問題で露呈した相撲協会のアカン体質

両国国技館
両国国技館(C)週刊実話Web

大相撲界屈指の名門部屋が大揺れだ。いまだ燦然と輝く69連勝の双葉山を祖に持つ時津風部屋の師匠、時津風親方(元幕内・時津海)が初場所の最中、日本相撲協会の定める新型コロナウイルス対策のガイドランに違反し、連夜、こともあろうに麻雀店や風俗店などで遊びまわっていたことが判明したのだ。

時津風親方はすでに退職届を提出しているが、相撲協会はあえて受理せず、厳罰に処する方針。いったい、いつになったら大相撲界の〝悪しき体質〟は一掃されるのか――。

開いた口が塞がらないとは、このことだ。コロナ禍で開催が危ぶまれながら、平幕の大栄翔が出身地の埼玉に初の賜杯をもたらし、テレビ視聴率も16.7%(関東地区)という高い数字をはじき出した初場所千秋楽。あと一歩というところで競り負けた大関・正代は、「最後に、ちょっとあと味の悪い内容になってしまいました」と肩を落としたが、師匠がこんなことをしていては追いつけるはずもなかった。

日本相撲協会は、ウイルス感染に弱い競技体質を持つため、新型コロナに対して人一倍神経を尖らせ、力士が外出する際もいちいち師匠の許可を義務付けるなど、厳しいガイドラインを設けている。そんな努力の甲斐があってか、途中で感染が広がった場合、打ち切りも予想された初場所はなんとか最後まで完走した。

「15日間、無事にやってこれた。本当に感謝しています。力士も行事も呼出も床山も、そして親方衆も家族も、よく頑張ってくれた」

八角理事長(元横綱・北勝海)は、そう言って胸を撫でおろした。しかし、4日後の理事会で前言に次のような断りを入れている。

「ただし、1人だけ(規則を)守れなかった者がいる」

その問題の「1人」が、時津風親方だった。愛弟子の正代が大栄翔と熾烈な優勝争いを繰り広げる中、それもなんと5夜連続して、場所がハネるのを待つようにいそいそと繁華街に出向き、夜遅くまで麻雀に興じていたことが判明したのだ。

ルール違反の常習者だった時津風親方

関係者によると、時津風親方の雀荘への出入りは初場所中だけではないという。つまり、常習犯だったのだ。

そればかりか、場所後半には風俗店にも出向いていたことが明らかに。ちなみに、時津風親方は現役中に結婚し、2男1女の父。2人の息子は力士を目指しているそうだ。

家庭では、どんな顔で妻や子と接していたのか。興味をそそられるハチャメチャぶりだが、実はこれが時津風親方にとって初犯ではない。過去に2回も、ルール違反を犯して降格処分を受けている。

「1回目は平成22年。野球賭博をやっていたことが判明し、平年寄に1階級降格と5年間の昇格見送りに。2回目は去年10月。コロナ禍の中、宮城県でゴルフや会食などをしていたことが分かり、秋場所を謹慎させられた上、今度は2階級降格。委員から平年寄に落とされました。この2回目の処分から、たった3カ月あまりですからね。呆れるとはこのこと」(担当記者)

時津風親方の賭け事好きは、関係者の間でも有名だ。

「毎朝、弟子の稽古もろくに見ず、熱心にウエートトレーニングに励んでいますが、これは体調管理ではなく金銭を賭けて行うゴルフで飛距離を落とさないため、と言われています」(同・記者)

いやはや、これで弟子たちにとっては親代わりというべき相撲部屋の師匠がよく務まったもんだ、と驚くばかり。

それにしても、なぜこんな破天荒な親方が出現したのか。それも、よりによって名門中の名門部屋に…。

とんでもない異端児に化けてしまった…

「すべては、あの平成19年に時津風部屋で起こった序ノ口力士暴行死事件です。あれで先代時津風(元小結・双津竜)が協会を解雇され、急遽、後継者に指名されたのが、当時、まだ現役だった現時津風親方でした。通常、部屋持ちの親方になるには何年か部屋付き親方として修業し、また、一から部屋作りや弟子集めをするなど、たいへんな苦労をするものです。それが、名門部屋の親方の座が、向こうから転がり込んできたわけです。これで、『自分は何をやっても許される特別な人間』と勘違いしたようなんですね。最近は、周りの忠告にも聞く耳を持ないといった感じで、誰も手を付けられない状態でした」(時津風部屋関係者)

要するに、「名門部屋の灯を守れ」と、寄ってたかってうだつの上がらない古参力士を部屋持ち親方に仕立て上げた結果、とんでもない異端児に化けてしまったのだ。「大相撲界の革命児」、「将来の理事長」とおだてて理事にまで祭り上げられた結果、暴走を繰り返してついには相撲協会に後ろ足で砂をかけるようにして飛び出していった「貴乃花の乱」に、どこか似ている。

「時津風親方もある意味、『大相撲界の悪しき体質の犠牲者』と言えるかもしれません。コンプライアンス委員会の調査を待って、近く開かれる理事会で解雇を含む厳罰に処せられるのは必至です」(前出の記者)

ところが、時津風親方は、これを待たず1月27日に退職届を提出した。周囲に、

「たとえどんな処分が出ても、退職する気持ちに変わりはない」と、漏らしているという。

後継は、東農大の後輩に当たる部屋付きの間垣親方(元幕内・土佐豊)が有力。この素早すぎる決断を潔しとみるか、それとも言い訳に窮してしっぽを巻いて撤退したとみるか。

いずれにしろ、残された正代を含む16人の弟子への影響が出ないことを祈る。

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