(画像)Josiah_S/Shutterstock
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日本刀に麻酔薬も…現代科学でも解明できない「ロストテクノロジー」とは

前時代の遺物の中には、現代の技術をもってしても再現できないものがある。失われた技術体系の多くは実のところ新しい技術に取って代わられたわけだが、これら「ロストテクノロジー」は議論の対象としてはなはだ興味深い。代表的な事例をご紹介!


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「ロストテクノロジー(失われた技術)」とは、過去には確かに存在したが、何らかの理由により後世に伝えられず、現代では再現不可能となってしまった技術を指す。それが発生する原因としては、まず技術革新による代替手段の発達が挙げられる。つまり、実用的ではなくなったことで「失われた」わけである。


また、かつて隆盛を極めた文明が衰退したり、変質したりしたときに、一部の技術がロストテクノロジー化したという事例は、現代においても見ることができる。さらに、原材料の枯渇も、ロストテクノロジーが発生する原因となり得る。


日本におけるロストテクノロジーの代表的な例としては、よく「日本刀」が話題となる。中でも平安時代中期から戦国時代までにつくられた「古刀」は、現代の技術をもってしても再現できないという。


古刀は切れ味が鋭いだけでなく、刀身の密度が高く強靭で、江戸時代以降につくられた「新刀」に比べて使用時に折れにくい。また、単なる鉄製の武器ではなく、芸術作品と言うべき美しさを備えており、実際に現代まで残っている古刀の多くが、国宝や重要文化財に指定されている。


古刀は宋、明の時代の中国でも「宝刀」として高い評価を受け、平安時代末期から戦国時代にかけては重要な輸出品目とされていた。そして、古刀の生産は「五箇伝」と称される備前(岡山県)、大和(奈良県)、山城(京都府)、美濃(岐阜県)、相州(神奈川県)の5つの地域で発展し、その製法や原材料の鉄鉱石、砂鉄などは地域によって異なっていた。

現在も明確な答えはない…

だが、1590年に発生した吉井川の大氾濫で備前一帯が水没したことにより、それまで盛隆を誇ってきた「長船派」の刀鍛冶が壊滅状態となってしまう。

また、この時期には全国各地の大名が、それぞれ有力な刀工を召し抱えるようになっていた。さらに、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたことで、物品の流通が盛んになり、古刀の生産に使われる原材料の地域差が次第に無くなっていった。


その結果、五箇伝それぞれが継承してきた技法が散逸し、古刀に使われる原材料の種類や混合比率、焼き入れの温度などの情報伝達が、完全に途絶えてしまったという。


当時の日本は海外から砂鉄を輸入していたが、江戸時代に鎖国体制が敷かれて、これが入ってこなくなった。それまで配合されていた海外産の砂鉄が使えなくなったことも、古刀の再現を困難にしたようだ。


ちなみに古刀については、「とてつもない切れ味であった」といわれ、その切れ味について「再現できないロストテクノロジー」とする意見もあるが、単に切れ味ということならば、現代でも古刀と同様かそれ以上のものをつくることが可能だ。例えば、医療用のメスは明らかに古刀よりも切れ味が鋭く、これは工業的に製造されている。


つまり、古刀の場合は切れ味の問題ではなく、はるか昔の刀身が朽ちることなく光り輝き、美しい刃文の浮き出た姿を維持していることがロストテクノロジーとされているのである。


また、こうした独特の刀身を再現するには、伝統的な「たたら製鉄」という技法で「玉鋼」をつくり、それを何度も折り返して鍛錬する手間暇がかかる。その一つ一つには刀匠それぞれの経験からくる技法が求められ、こうしたすべてを機械的に再現することが、至難の業とされているのだ。


近年では古刀の科学的な分析も進んでいるが、それでもなお明確な答えは出ていない。

存亡の危機にある〝職人技〟

第二次世界大戦中に建造された「大和型戦艦」も、今ではロストテクノロジーとなっている。設計図自体は発見されているのだが、それを見たところで資材の確保や製造技術の再現が非常に困難なのだという。

大戦末期、すでにミサイルやロケット弾が実戦投入され始めたことから、戦艦の主砲のような口径46センチにもなる大砲は無用の長物として製造されなくなっていた。そのため、分厚く巨大な特殊鋼材を組み合わせるための接合技術が必要なくなり、同時に職人もいなくなってしまったのだ。


また、硬い鋼材を削る際には摩擦熱が発生し、それによって鋼材が劣化してしまう。強度を保ちながら加工するには、絶妙な具合で冷却しなければならないが、そのための高度な技術も伝わっていない。


職人技ということでは、大工の技術も存亡の危機にある。宮大工のような特殊技術だけではなく、一般的な木造住宅を建てる技術も近年は衰退の一途をたどっているという。


戦後の高度成長期に多くの家屋が建てられる中、プレハブ建築など簡便な技法が普及するとともに、昔ながらの大工の技術が伝承されなくなってしまった。


目先の頑丈さということならば、とりあえずは鉄筋などで事足りる。しかし、日本の気候は湿気が高く、地震や台風などの自然災害も多いため、鉄筋住宅は木造住宅よりも経年劣化が激しくなりがちである。


何百年と建ち続ける由緒正しい神社仏閣などはもちろんのこと、一般的な家屋を建てる上でも、やはり昔ながらの技術が求められているという。実際問題としても高度成長期の建売住宅などは劣化が激しく、何の改修もしなければ廃屋となりつつある。


建築関係のものでは、昔はどこの家でも見られた模様入りの「型板ガラス」も、現代では作り手がほとんどいなくなり、ロストテクノロジー化しつつある。


令和の今では、そんな昭和レトロなガラスが「風情がある」ということで見直され、アンティーク風の装飾に用いられたりもする。しかし、もはや量産されていないため、古い家屋から買い取って加工して使うこともあるという。


もしもお住まいに模様入りのガラスが使われているならば、貴重な財産なので丁寧に扱ったほうがいい。

江戸時代に麻酔薬を開発

弥生時代の遺跡などから発掘された「銅鐸」も、ロストテクノロジーといわれている。そもそも銅鐸はどのような目的でつくられたのか、過去200年以上にわたって諸説が論じられてきたが、すべての考古学的かつ科学的な事実に合致する説明は、今日に到るまで成されていない。

その構造から一応は「鈴や鐘のように鳴らすもの」と考えられているが、1メートル以上に及ぶ巨大な銅鐸もあり、単に音を出すための目的でつくられたにしては無駄に大きすぎる。


また、これまでに発掘された銅鐸のほとんどは、意図的に地中に埋められた形跡があるものの、いったい何のために埋められたのかが判明していない。


当時の技術で厚みが2〜3ミリ程度しかない青銅製の銅鐸を製造するのは、どう考えても難しい。現代の鋳物技術でも厚みは5ミリ程度が限界だといわれ、熟練の技術者がかつての製法による銅鐸の再現に挑戦してもうまくいかないという。


医学の分野にもロストテクノロジーが存在する。江戸時代の医師として有名な華岡青洲は、1804年に世界初の全身麻酔による外科手術を成功させた。このときに使われた内服麻酔薬の『通仙散』は、曼陀羅華(チョウセンアサガオ)や草烏頭(トリカブト)など数種類の薬草が原料だといわれるが、具体的な配合や使い方に関する記録が残されていないのだ。


華岡は動物実験だけでなく、母や妻への人体実験を繰り返し、20年の歳月をかけて通仙散を開発したという。だが、通仙散の製法は秘伝とされ、のちに伝来した麻酔薬の普及によってロストテクノロジーとなってしまった。


こうした技術の喪失は、近年でもたびたび起こっている。CG(コンピューター・グラフィックス)などデジタル技術が発展した昨今、昔ながらの「セル画」を使用したアニメーションも、若者にとっては縁遠い存在になってしまった。


いまだ「セル画の味わいがいい」という昔ながらのアニメファンの声もあるが、多大な労力からしても今後、セル画アニメの大作が制作される機会は失われていくだろう。


いわゆる町工場における数々の技術も、その多くがロストテクノロジー化しつつある。中でも近年進められている自動車のEV(電気自動車)化により、エンジンや周辺装置の技術が失われてしまう可能性は高い。


そのほか、さまざまな機械に使用される小さな部材にも、町工場の先端技術が詰まっていることがある。それらが後継者不足や資金難などで失われてしまうとき、日本は「技術大国」の看板を下ろすことになるかもしれない。