北原佐和子 (C)週刊実話Web
北原佐和子 (C)週刊実話Web

女優・看護師・元「パンジー」/北原佐和子インタビュー~若手時代はいじめられていた!? 現在は介護職と女優業の二刀流で活躍中

〝花の82年組〟の1人である北原佐和子。時代劇や刑事ドラマ等での活躍はご存じの通りだが、ここ15年ほどは女優業と両立する形で介護士、ケアマネジャー、准看護師などの資格を取り介護医療分野でも活動。ダブルワークの生活をしている。本誌は5月某日、神奈川県伊勢原市内のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)で行われた利用者向けのイベントを取材、介護に懸ける思いやアイドル時代の秘話を聞いた。


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サ高住『ココファン伊勢原』のイベントスペースに現れた北原は、オレンジのポロシャツにチノパンという職員用の制服姿。20人ほどの利用者の前に立つと、元気な声で自己紹介を始めた。年代的に彼女を知らないこともあるだろうと、82年組同期の早見優の名前や、なじみのある『水戸黄門』(TBS系)、『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)など、出演した時代劇やドラマ名を挙げてクイズを出すなどして興味を引いてゆく。その温かい口調に利用者も心を開いてゆくのが手に取るように分かる。


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北原 今日は月に2回ほど行っているイベントの日です。いろんな事業所でイベントをさせていただくのですが、今回はクイズコーナーと手拭いを使った体操コーナーの2部構成になっています。童謡を一緒に歌うなど、くつろいでいただける時間になればいいなと考えています。


――北原さんは何がきっかけで介護職に関わるようになったのでしょう?


北原 女優の仕事は、撮影が続いたかと思うと数カ月間ぽっかり空くことも多いんです。そういうことを繰り返しているうちに、将来への不安を抱くようになりました。20代の半ばくらいです。以前から空き時間に何かをしようと、三味線や日本舞踊、乗馬などを習っていましたが、魂を揺さぶられるほどの情熱は持てなかったんですね。そこでふと思い出したのが、ある雨の日の出来事でした。


――いつ頃のことですか?


北原 20代です。車を運転していたら、体にまひのある男性がタクシーを探している様子でした。勇気を出して『よろしかったら乗ってください』と声をかけ、ご自宅の近くまで送ったんです。その方は『手前の金網の横に止めてください』と言い、私の手伝いを断って金網を掴んだ両手で体を支えながら(車を)降りていきました。自分の足で立って歩く、その力強い姿に感銘を受けました。以来、困っている人がいたら自然と力になれる自分になりたい、見て見ぬふりはしたくない…そう思っていましたが、40代になって行動に移すことにしたんです。

病院と女優業を掛け持ちで…

――41歳でホームヘルパー2級の資格を取得したのを皮切りに、その後に介護福祉士、さらにはケアマネジャーの資格を取得。今から3年前には准看護師の資格も取られた。なぜ、看護師まで?

北原 ケアマネジャーは、医師や看護師、理学療法士など専門職のチームをまとめて利用者さんのケアプランを立てるのですが、在宅診療に同行したとき、先生と看護師の会話が専門性が高くて全然理解できなかったんです。これでは務まらないと悩んでいたら、先生から『看護学校で学んでみたら?』と言われ、准看護師の試験を受けることにしました。


――そうすると今は、病院にお勤めなんですか?


北原 現在は東京・三鷹市にある認知症専門クリニック『のぞみメモリークリニック』というところに週に4日間ほど勤めています。


――そして女優業に今日のようなイベントも掛け持ちされてるわけですね?


北原 正直に言うと、ドラマの撮影などは日程的に調整できないことが多く、コメンテーター役やバラエティー番組が多いですね。あまりトークは得意じゃないと自覚しているので、介護や医療の部分でマッチする番組に出させていただくことが多いです。


――クリニックではどんな形で患者さんと関わっているのでしょう?


北原 医療職としてはMRIを撮るのですが、映し出された脳の画像には脳梗塞があるか、脳出血はあるかなど、全部分かります。私も脳ドックで撮ってもらったことがありますが、読者の皆さんも受けた方がいいですよ。症状がなくても発見されることも多々あります。また、こういうクリニックを訪れる方やご家族は、認知症かもしれないとなったら不安ですよね。診察をするのは先生ですが、私たちは患者さんに寄り添い、フォローしてゆくのが仕事です。


――北原さんといえば花の82年組。真鍋ちえみさん、三井比佐子さんと、アイドルグループ『PANSY(パンジー)』を結成されて活躍しました。同期には中森明菜さんを始め、小泉今日子さんや早見優さんなどスターぞろい。当時、仲の良かったアイドルはどなたなんですか?


北原 実を言うと、事務所が厳しかったせいもあってほとんど交流がなかったんです。年齢的にも私がちょっと上だったので。高3と高1って、年齢差以上に距離があるじゃないですか。でも、薬丸(裕英『シブがき隊』)さんと堺正章さんの舞台でご一緒したときは一気に打ち解けて仲良くさせていただきました。「(私の)アイドル時代のマネジャー、本当に怖かったよねぇ」なんて。確かに、がっちりガードされてましたから(笑)。 転機になった不良少女役

――デビューのきっかけは『ミスヤングジャンプ』。最初は水着撮影もNGだったそうですね。


北原 校則も厳しく私自身もビキニはもちろんワンピースさえも嫌でした。「それだけはやらない」というのが事務所との約束だったんです。


――なのに、写真集まで出している。なぜ約束が反故になっちゃったんですか?


北原 アイドルの前のモデル時代の話なんですけど、某銀行のキャンペーンモデルに選ばれたんです。ハワイでポスター撮影ということになり、空港で集合したら、マネジャーが「(今回は)水着だから、ビキニだから」って。いきなり言われて「じゃあ、帰ります」とも言えないですよね。


――当時は、そういうなし崩し的なことはよくあったんでしょうか? 行ったらなんとかなる、みたいな。


北原 ありましたね。あのとき、もしも帰っていたら私はどうなっていたんだろうと、今も時々思いますね。


――アイドルの後は女優業に進出。時代劇や舞台、ドラマと活躍された。介護職に汗を流す今の姿と昼ドラ『牡丹と薔薇』(2004年・フジテレビ系)での性格の悪いキャラとのギャップには驚かされます。それまでがお姫様役のイメージだったからなおさらでした。


北原 それはよく言われるのですが、実を言うとお姫様役は一度しかないんですよ。あとはみんな町娘役。


――そうなんですか? やはり、ちょっと品があるから町娘だけれどお嬢様に見えちゃったんでしょうか?


北原 そこがもしかすると私のお芝居の限界というか、下手なところかもしれませんね。なりきれないってことで。


――では、作品的に転機だったなと思えるものは何でしょうか?


北原 月曜ワイド劇場『女子少年院』(1983年、テレビ朝日系)という作品の不良少女役です。自分の中ではかなりのチャレンジで、役作りを懸命にやりました。女子少年院に入る境遇だと、たとえばご飯をどんなふうに食べるんだろう、どんなしゃべり方なんだろう…って。


――グレるなんて想像もできない?


北原 そうですね。私が生きてきた中で考えたこともなかったです。それと、アイドルでデビューして若いうちから京都の撮影所に行くなどした私は、「芝居ができない」とさんざん言われて現場では悔しい思いをしました。でも、セリフが棒読みだなとは自分でも感じていたんです。悔しくて悲しくて…でも、勢いでこなしてきた部分がありました。だからこそ、全然違う役で殻を破りたかった。乱闘シーンでは先頭を切って喧嘩をするなど、すごく弾けた感じでしたね。おかげで「こういう役もできるんだね」と評価されてうれしかったです。


――デビュー以来、元気いっぱいのイメージですが、ご自身の健康状態はどうなんですか?


北原 実は胃潰瘍を患って、40代の前半までずっと苦労しました。舞台に出ているときも、痛くて大変なときは舞台袖で牛乳を飲んで胃に粘膜を作って気分的に楽にするなど、応急措置をしていたんですよ。

共演者の顔に“へのへのもへじ”!?

――その原因に心当たりはあるんですか? 緊張とか。

北原 発症したのは『水戸黄門』で初舞台に立ったときでした。文字通り、一晩でできたんです。原因は緊張というより人間関係かな。テレビから出てきたアイドルが、しきたりも何も知らずにいい役をもらえたわけですから…。


――オブラートに包んでいらっしゃいますが、要はいじめということですかね?


北原 そうとも言えるかもしれませんが、そこは厳しい世界ですから仕方ない面もあったと思います。初舞台では本当にいろんなことを学ばせてもらいました。


――「仕返しをしてやろう」なんてことは、つゆほども思わないわけですね?


北原 いえ、人間ですから、意地悪な部分や妬みってあるじゃないですか。正直、仕返しをしたくなるときもありましたよ。あ、したこともありました、あっはは。


――それ、聞きたいなぁ。


北原 ちょっとだけお話をすると、藤田まことさんの舞台に出させていただいたときのことです。座組(出演者の構成)が決まっている中に、不慣れな私が入ったものだから、知らぬ間にご迷惑をかけていたのだと思います。あいさつすると無視されたり、あからさまに嫌みを言われてナーバスになっていたんです。そんなある日、巡業先で藤田さんが「ご飯を食べよう」とおっしゃってくださり、座組のメンバーとご一緒しました。藤田さんが私の左に座り、右には私をいじめている俳優さんが座りました。


――それは大変そうなシチュエーションですね!


北原 藤田さんとお話をしながら気持ちよく飲んでいると、お店の方が「サインを書いてください」と色紙とマジックを渡してくださったんです。それを書きながら「藤田さ~ん…私、ず~っといじめられてたんです」と、はっきり言ったんです。


――えっ!? それはますますヤバい状況に(笑)。


北原 私は続けて「隣のこの方にいじめられてたんです」と言い、「だから、ちょっとすいません。今日はあることをやりたいんですけど、いいですか?」と、その方の顔に〝へのへのもへじ〟と書き始めたんです。怒るかなと思ったら、案外嫌がらないので、見かねた藤田さんが「そろそろやめろ」っておっしゃるんですけど、「すみません、そろそろやめる気になれなくて。もう私、最後までやらせてください!!」って言いながら書ききりました。


――それはなかなか…やっちゃいましたねぇ。翌日からが大変です。


北原 はい。翌朝、あいさつに行って「昨日はすみませんでした」と頭を下げたら、「今日も元気でがんばれよー」って。なんだこの人? と思ったけれど、それからは逆に可愛がっていただいたんです。


――壁が取れたんですかね。


北原 そうかもしれません。今思うと冷や汗ものですけれど(笑)。
◆きたはらさわこ 1964年3月19日生まれ。埼玉県出身。高校在学中の81年『ミスヤングジャンプ』に選ばれデビュー。翌年『マイ・ボーイフレンド』で歌手デビュー。『プレシャスライフ 心の朗読会』でボランティア活動も行う。