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紹介された“サーカス”を曲芸師と勘違い~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

『20歳のめぐり逢い』がヒットしたフォークグループ、シグナルの田村(功夫)君と大阪の喫茶店で偶然知り合ったと以前書きましたね。田村君はその後、レコード会社のスタッフに転身したんです。その頃は俺も大阪で活動しながら時折、北新地の外れにあるスナックでアルバイトをしていました。その田村君から「明日、洋ちゃんがバイトしているなら店にサーカス連れて行くわ」と電話があったんです。


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翌日、スナックのママと「空中ブランコに乗る人が来たら嬉しいですね。いろいろと聞きたいこともあるし」なんて会話をしていたところ、ドアが開き田村君、そして俺が想像していたサーカスではなく、『Mr.サマータイム』が大ヒット中の4人組コーラスグループの方が入ってきたんですよ。

サーカスの4人とレコード会社のスタッフ数人が席に着き、しばらくするとサーカスの2人が『Mr.サマータイム』を歌ってくれたんです。大ヒット最中だったから、居合わせたお客さんもビックリですよ。

会計でママさんは「お代は結構です」と断ったんですけど、きちんと支払っていましたね。その間、サーカスの1人が俺の顔を見て「B&Bさんですよね? テレビで見て面白かったです」と声を掛けてくれた。当時はたまにテレビにも出演していたから知っていてくれたんですね。翌日の1回目のうめだ花月の俺らの出番に招待しましたよ。

(島田)紳助やぼんちおさむらに楽屋で「今日はサーカスが見に来るわ」と伝えました。今でこそ、歌手と芸人が一緒の番組に出演しますけど、当時は歌手は歌手、俳優は俳優、芸人は芸人とほとんど交流がなかったから、みんなも俺と同じように曲芸をやるサーカスが来ると思っていたんです。

仁鶴師匠も同じ勘違いを…

劇場のスタッフに「洋七さんに田村さんとサーカスの4人が面会です」と呼ばれた。楽屋を出ると、他の芸人もついてきたんです。4人の姿を目にした紳助が「洋七兄さん、歌手のサーカスじゃないですか。兄さんのことだから、玉乗りしながら階段下りてくるのかと思いましたわ。歌手なら歌手と言ってくださいよ」。

俺らの出番になった。普段は緊張しないんですけど、歌手が見ていると思ったら緊張しますね。一番ウケるネタを出しましたよ。1回目の公演が終了すると、サーカスがシュークリームを楽屋見舞いに持ってきてくれて、先輩や後輩に配りましたよ。「なんで知り合いなん?」って、みんなから不思議がられましたね。

その日の夜、お返しにコンサートに招待してもらった。見に行くと、芸人の世界と違って華やかなこと。照明もキレイで会場も沸く。4曲ほど歌うと、「大阪に来たらやはり寄席ですね。昨日、B&Bの島田洋七さんと知り合いまして、今日は花月に見に行ってきました。めちゃくちゃ面白いですね。さすが大阪ですね。会場のどこかで洋七さんも見にきてくれています」と呼びかけると、お客さんも大盛り上がりでした。

そう言えば、うめだ花月に来たとき、「君がサーカス言うから、歌手のサーカスだとは誰も思わんがな。木下サーカスの人でも来ると思うたから、いろいろと聞きたいことあったのにな」と笑福亭仁鶴師匠が笑いながら言ってましたね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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