やす子 (C)週刊実話Web
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インタビュー・元自衛官のピン芸人やす子~芸歴4年…駆け足でブレークしたワケ~

迷彩服に七三分けのルックスで、一躍お茶の間の人気者に駆け上がったピン芸人・やす子さん。しかし、そもそもお笑い芸人に興味はなく、自衛隊時代もテレビを見られなかったため業界のことすらほとんど知らなかったという。そんなやす子さんは、なぜ芸歴4年という駆け足でブレークできたのか?


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――まず、やす子さんが芸人を目指したキッカケはなんだったんでしょうか?


やす子「自衛隊を辞めた後は、清掃会社で働いていました。当時の友達が『漫才をしたい』というので、5社ほど事務所に応募したんです。今所属しているソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)は、その日に返信があって、次の週に面接し、事務所ライブをやりました。やる気があればどんな人でも受け入れてくれる事務所です」


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――事務所ライブとはどういうものですか?


やす子「ソニーには『BeachV』という持ち小屋があります。そこで6段階ほどにランクが分かれた芸人が、毎月ライブをやっています。最初は一番下のランクから始まります」


――初ライブはどうでした?


やす子「相方と漫才をする予定でした。でも、相方は怖くなったのか、初ライブの日に来なくて…。漫才のネタをピンっぽくして、ひとりで舞台に立ちました」


――お客さんの反応は?


やす子「芸人は15組、お客さんは2人ぐらいしかいなくて…。もう、その1回きりでやめようって思いましたが、SMAでお笑い部門を立ち上げた人や構成作家さんなどとお会いできて『来月もライブに来てね』と言われたんです。まだ自衛隊を辞めて4カ月ほどだったので、『上官の命令は絶対』と思い込んでしまい、翌月もライブに出演していました」


――当時は上京してきて4カ月、20歳ですね。ブレークするまではどんな生活でしたか?


やす子「最初に住んだ家は、築70年、家賃2万5000円のボロボロのアパート。窓がプラスチック製で、バスが通ると揺れていました。月一度のライブもノルマがあって、チケット代の1000円×4枚分=4000円を払ってライブに出ているような状態です。清掃会社の正社員だったから、なんとかなっていました。ただ、その生活を始めて3カ月ぐらいのとき、ハリウッドザコシショウさんの単独ライブを見て衝撃を受けたんです。裸一貫のピン芸人があれほど観客を笑わせているのがカッコ良くて!! 自分もちゃんと芸人を目指そうと思い、まず正社員を辞めてバイトを始めました。そこから1年間で15ぐらいの職を転々としました」

一時期、借金が250万円に!

――どんなバイトを?

やす子「牛丼屋、ゲームセンター、警備員、プールの監視員、保育園の布団をたたむだけのバイトなどです。飲食店もいろいろやって失敗もありました。あるカフェでは、初めて見た食洗機をゴミ箱と思い込んで、生ゴミを入れて壊してクビになったり…。本当に稼げなくて250万円ぐらい消費者金融から借りていました」


――めちゃくちゃ苦労してるじゃないですか。


やす子「自衛隊では言われたことができていたのに、社会に出ると一人暮らしがこんなに大変と思いませんでした。それでもライブは、一度も休みませんでした」


――そして2020年の年末から正月にかけて放送された『ぐるナイ』(日本テレビ系)の『おもしろ荘へいらっしゃい! 2021』でブレークを果たします。どういう経緯で出演したんですか?


やす子「オーディションでした。1次審査はどうせ無理だろうと、バイト先のカフェの制服の上に迷彩服を着て行って受かりました。2次審査はリモートで、制作の方と話してあまり記憶がありません。3次審査はなんとお客さんの前でした。ほぼ初めて観客の前でネタを披露して『お客さんって笑ってくれるんだ』と思いました。『おもしろ荘』出演の連絡が来たのは、バイトに行く途中でした。あまりに嬉しくて、近くのコンビニの前で座り込んじゃって『交通事故に遭いました』とバイト先に電話して休んじゃいました」


――またバイトをサボって、何してるんですか(笑)。


やす子「3日ぐらい夢心地で過ごしました。収録でナインティナインさん、有吉弘行さんを見たときは、キラキラしてて素敵な場所だと思いましたね。当時は『コロナ禍でライブにお客さんはいないし、周りにはフリーターの先輩ばかりだし、何が芸人だ』と悩んでいた時期だったんです」


――そんなやす子さんがテレビ出演から芸人として売れ始めます。


やす子「はい。放送された次の週には『サンデージャポン』(TBS系)の出演も決まりました。隣にデヴィ夫人がいて『あなた、芸人に向いてるわよ』と言われました」


――その後『サンジャポ』でレポーターのレギュラーを獲得。他の番組でも引っ張りだこです。芸歴4年目の芸人では一番売れていると思いますが、秘訣はあるのでしょうか?


やす子「本当に運だと思います。来年どうなってるか不安ですが、楽しく生きようという感じです。はい~」


――やす子さんは芸人になって良かったですか?


やす子「良かったです。社会とうまくいかない感じが20歳ぐらいまでありましたが、芸人だと全部個性として受け止めてくれます。芸人になってからは生きやすいです。カメラが回ったらいっぱい話せます」


――芸人さんはカメラがスイッチなんですね。


やす子「そういう芸人さんは多いです。カメラの前と普段が変わらないのは明石家さんまさんぐらい。優しくて言葉にも愛があるので、さんまさんは大好きです」


――芸人の中のトップですもんね。幼少期のお話を聞きたいのですが、テレビがない暮らしをしていたとか。


やす子「他でも話していますが、母子家庭で貧乏でした。テレビはなくて、ラジオのワンセグ音声で『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)を妹と聞いていたことがありました。夏休みは冷蔵庫に入ったパンの耳をずっと食べていたり、今でもよく生活できていたもんだと思います。はい~」


――大変すぎますね。お母さんにお返ししてますか?


やす子「ふるさと納税の食べ物を送ったり、年に一度旅行をプレゼントしたりしています」


――素晴らしいです。他に子供時代の思い出は?


やす子「地元の山口県宇部市には、ときわ公園という大きな公園があって、休みの日によく行きました。植物園もあって、白鳥を見たり、虫とかナマズを観察したりしていましたね」

自衛隊の生活には戻れません

――生き物や動物が好きだったんですか?

やす子「生き物が好きですね。ステップとワゴンという名の犬を飼ってました。当時、親がステップワゴンに乗っていて、名付けたんです。猫の名はハイエース。車を買い替えたんですね。亀やハムスターも飼いましたし、蛇を家に持ち帰って怒られたこともあります」


――子供の頃は、何になりたかったですか?


やす子「中学生のときは獣医です。『動物のお医者さん』(佐々木倫子・白泉社)という漫画が大好きでした。あとは漫画家ですね。水泳部なのに漫画を描いていました。中学生のとき、『ジャンプスカウトキャラバン』というのがあり、福岡に漫画の持ち込みをしたことがあります。2作品は完成させて、一時期はジャンプ編集部の担当さんにネームを見てもらっていました。でも、続けられなかったですね」


――そこまでできるのがスゴいですよ。そして、高校卒業後、自衛隊に入隊します。どんな生活でしたか?


やす子「朝6時にラッパで起きます。5分後に点呼。身支度をして朝食。自衛隊体操の後は10キロ走って、やっと8時になります。そこから仕事でした。自分はブルドーザーに乗って演習場の中の道を作っていましたね。ユンボも運転できます。ガンダムに乗っているみたいで楽しかったですよ」


――2年で退職しますが、その理由は?


やす子「ふと、辞めてみようかなと思ったんです。自衛隊はいい経験でしたが、今は外の自由を知ってしまったので戻れません(笑)。好きなときに好きなものを食べたりできるのは素晴らしいです。はい~」


――今でも自衛隊の訓練を受けているそうですね。


やす子「今は予備自衛官です。普段は仕事をしていても災害派遣などの有事の際、身分が自衛官になる制度です。年に5日間訓練を受けられます。自衛隊にはお世話になりましたし、みんなの役に立てたらいいですね」


――今後、やってみたいことはありますか?


やす子「音楽は趣味として続けたいですね。最近は、漫画家になるのが夢です。今年『行列のできる相談所』(日本テレビ系)の番組内で漫画を3ページ描いたら中学生以来の漫画熱が『たぎるぜ~!!』となってしまいました。自分のコントをギャグ漫画にしたいと思っています。雑誌で連載して、アニメ化されるところまでいくのが目標です」


――芸人としての目標は?


やす子「単独ライブをしたいです。まだ決定ではないですが、今年やるつもりなので皆さん来てください!!」


(文/松本祐貴 企画・撮影/丸山剛史)
やす子 1998年、山口県出身。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊し、2019年まで勤務。その後、上京し、芸人デビューとなるライブ会場に相方が現れず、「やす子」としてデビューする。21年、テレビ出演をきっかけに瞬く間にブレイクし、現在ではメディアで見ない日はないほど活躍している。