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『性産業“裏”偉人伝』第14回/元遊廓経営者~ノンフィクションライター・八木澤高明

現在の色街の起源でもある遊廓が全国に広がったのは、江戸時代から明治時代と言えるだろう。それこそ、かつて色街は全国津々浦々に存在したのだが、そんな時代は遠い昔となってしまったのだ。


遊廓を知る人々も、年を経るごとにいなくなりつつある。私は日本の裏面史ともいうべき遊廓の記録を残しておきたいと思い、明治時代に産声を上げた遊廓経営者の子孫を訪ねた。


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場所は下北半島、青森県むつ市の大湊。遊廓の名前は「小松野遊廓」だ。この遊廓は水上勉の小説『飢餓海峡』の舞台にもなった。


小松野遊廓は1905(明治38)年に営業を開始し、売春防止法が施行された1958(昭和33)年まで続いた。半世紀以上にわたり遊廓が長く営業できたのは、明治時代、大湊に日本海軍の基地ができ、軍御用達という側面があったからだった。


戦前に記された「全国遊廓案内」によると、小松野遊廓には10軒の貸座敷と30人の娼妓がいたという。


現在の大湊新町という地が、小松野遊廓のあった場所である。一本の坂に沿って遊廓は形成されていた。


その坂道を上りきったあたりに、今も遊廓時代の建物が残されていて、経営者の子孫が暮らしていた。今は70代の男性とその奥さんが暮らしているが、男性の両親が遊廓を経営していた。


私は男性に案内されて、遊廓時代に家人が使っていた部屋に通された。話しづらい内容のため、男性はやや口ごもりながら当時を回想してくれた。


「大湊で芸者をやっていた母親が、職人をしていた父親と結婚して、それから軍人相手の料亭をやり始めたそうです。それが戦前のことで、遊廓になったのは戦後のことなんです。戦争で負けて、お得意様だった軍人さんがいなくなりました。客足が途絶えてしまったもんですから、米兵相手の商売をしたことが、遊廓を始めたきっかけです。つまり、身を落としてしまったんですね」


両親が始めた遊廓経営について、男性はあまりこころよく思っていないようだった。私は米兵相手の商売について、具体的に教えてもらいたかったのだが、あまりそのことには触れられたくないのだろう。男性は黙ってしまった。


しばしの沈黙ののち、言葉を紡いでくれた。


「樺山飛行場というのがありましてね、そこに米兵がいたもんだから、パンパン屋を開いたと聞いてます。ほんの数年だと思うけど、かなり儲かったそうです」


樺山飛行場は、旧日本海軍が戦争末期、むつ市に作ったもので、戦後は米軍に接収されて、今では自衛隊の施設となっている。もうパンパン屋の痕跡は残っていないだろうと語る。

遊廓で働いた女たちの行方

今ではむつ市の一部となっている大湊であるが、合併する前の大湊町の時代には軍港として大いに栄え、人口は10万人を超えていた。ちなみに、現在のむつ市の人口が6万人に満たないほどであるから、当時の繁栄ぶりが分かるだろう。

「母親は青森の出身で、10代で芸者になって、こっちに来ました。父親は長崎県の五島列島の出身です。全国を回る建設会社の職人をやっていて、大湊に海軍の仕事で来たそうです。そのときに母親と出会ったみたいですね」


両親ともに、大湊には地縁も血縁もなかった。いわば、よそ者同士が結びついて、後に料亭と遊廓の経営に携わることになる。


「父親は海軍の仕事で儲かっていたそうですが、長くは続かないという思いがあったようです。それで、この建物と土地を買ったんです。『土方はひと月大名、ひと月乞食』という言葉もあるほど浮き沈みの激しい仕事だから、まだ水商売の方が安定していると思ったんでしょうね。それで、ここを昭和12年に買ったと聞いています。土地は1000坪あり当時のお金で2000円。もともと持っていたのは、北前船の親分といわれていた人だそうです」


料亭、遊廓経営に乗り出したものの、その8年後に日本は敗れ、日本海軍は消滅する。父親の見立ては、間違っていなかった。


戦後、遊廓になって、記憶に残っていることを聞いた。


「正月になると、7人か8人の遊女さんが挨拶に来たのを覚えていますね。でも記憶にあるのは3人ぐらいだったかなぁ。だいたい下北の近郊から来た女性たちだったと思います。川内、大畑、東通といったところだった」


その遊女の中で、大畑出身の文子という女性が印象に残っていると語る。


「文子さん、きれいだったな。遊廓を閉じるときに、お客さんと結婚したのを覚えています。遊廓で働いていた女性たちは、売春防止法が施行されたときにみんな結婚したんですよ」


遊女たちが売春稼業から足を洗い、新たな家庭を築けたというのは、心安らぐ話である。


話がひと段落すると、男性が遊廓時代に使われていた部屋へと案内してくれた。その部屋にはお孫さんたちの遊具が置かれていて、遊び部屋となっていた。


性の匂いが消えたその部屋からは、遊廓の時代からの時の流れの早さ、人の営みの儚さを感じずにはいられなかった。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。