中嶋悟「10のことをやれと言われたら12をやらないと、ここでは戦えない」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第55回
2026年シーズンからホンダの復帰が決まり、盛り上がりを見せそうなF1は、かつての大ブームの影響でK1やM1の名称が誕生するなど、確実に日本の文化に根付いている。その先駆者となったレーシングドライバーが中嶋悟だ。
1980年代の後半から巻き起こった空前のF1ブーム。F1中継のテーマ曲であるT-SQUAREの『TRUTH』を耳にして、当時の熱狂を懐かしく思い出す人は多いだろう。
83年シーズンからエンジン供給でF1に復帰したホンダは、無類の強さを発揮。バブル景気を反映して日本企業が次々とスポンサーに参画したこともあり、古舘伊知郎の実況とともに日本のF1文化を花開かせることとなった。
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そんな中、F1に初めてフル参戦した日本人ドライバーが中嶋悟だった。中嶋は高校時代にレーシングカートを始め、卒業後は身内のガソリンスタンドで働きながら、レースへの参戦資金を貯めたという。
20歳になった73年に念願のレースデビューを果たすと、国内トップカテゴリーのF2シリーズで5回のチャンピオンを獲得するなど、日本レース界の頂点まで駆け上がっていった。
87年に中嶋と縁の深かったホンダが、ウィリアムズに続きロータスへもエンジン供給することになると、そのホンダの後押しもあって、同チームのレギュラードライバーに起用された。
巧みなマシンコントロール
34歳という遅めのF1デビューではあったが、2戦目のサンマリノGPで6位入賞。第7戦のイギリスGPでは1位から4位まで、ホンダエンジンを搭載したマシンが独占し、ウィリアムズのナイジェル・マンセルとネルソン・ピケ、そしてロータスのチームメイトであったアイルトン・セナといったトップレーサーに続いて、中嶋も4位入賞を果たしている。このとき中嶋は、前を行くマンセルとピケの接触リタイアを願っていたと率直に吐露している。「敵がいなくなることほど簡単なこと(順位アップ)はないですから」という発言は、スポーツマンシップに反するかもしれないが、命懸けの極限状態で走っていれば、普段は温厚かつ冷静な中嶋でも、ついそんなふうに感じてしまうのだろう。
中嶋は年齢もあって、やや体力に劣るのが弱点ではあったが、マシンコントロールの巧みさには他のレーサーたちも一目置いていた。シビアなセッティングに見事に対応して、どんな条件でも高いパフォーマンスを引き出す能力に優れていたという。
その長所を最大限に発揮したのが、89年シーズンの最終戦となったオーストラリアGP。豪雨に見舞われたこのレースは、視界がほぼ消えるほどのウォータースクリーンが上がり、スピンやクラッシュが続出した。
有力選手たちが次々とリタイアしていく中、予選の失敗で23番グリッドからのスタートとなった中嶋は、ただ一人、好ラップを連発しながら驚異的なペースで追い上げて、最終的には4位にまで浮上した。
鈴鹿ラストランに15万人が集結
この走りは世界中の注目を集め、「雨のナカジマ」の異名が定着。もっとも中嶋は日本で走っていた頃から雨のレースを得意としており、その理由を次のように語っている。「僕の場合は人よりも雨を嫌っていなかった。特にF1においては、ドライよりも自分の思うような操作ができたというところがあります。完全ドライだと(マシンコントロールが)重すぎて、自分では抑えきれないところが現れちゃうので」
91年の日本GPでは、事前に引退を表明していた中嶋のラストランを見届けようと、鈴鹿サーキットに約15万人の大観衆が押し寄せ、日の丸の旗や応援の横断幕が観客席を埋め尽くした。結果は前輪を支えるサスペンションが壊れてタイヤバリアーに突っ込み、惜しくもS字コーナーでリタイアとなったが、中嶋への労いと感謝の声がやむことはなかった。
のちに中嶋は「自分がやりたいことはF1だったから、そのF1に乗れるような体(体力)ではなくなったから、きっぱりと辞めたんだ」と語っている。
結局、表彰台にこそ届かなかったが、参加シーズンすべてでポイントを獲得した日本人レーサーは、いまだに中嶋ただ一人である(最高位は鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉がそれぞれ3位)。
F1参戦時、中嶋は「10のことをやれと言われたら12をやらないと、ここでは戦えない」と話した。全盛期を過ぎてからの挑戦のうえ、チームメイトがセナやピケなどトップドライバーであったことから、マシンセッティングで優遇されることもなかったが、それでも確かな足跡を残したことには違いない。
引退後はナカジマレーシング監督(現在は総監督)として、全日本スーパーフォーミュラ選手権やSUPER GTに参戦。若手の育成に努めている。
《文・脇本深八》
中嶋悟 PROFILE●1953年2月23日生まれ。愛知県出身。四輪免許取得とともに73年から本格的なレース活動を開始。87年にロータスよりF1デビュー。90年にティレル移籍。F1通算成績は出走回数80回(決勝出走回数74回)、決勝最高位4位。
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