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安藤優子VS小宮悦子!本誌と同い年“満65歳”レジェンドキャスター対決

OSTILL is Franck Camhi
(画像)OSTILL is Franck Camhi/Shutterstock

おかげさまで小誌も創刊65年。同じ1958年生まれの大物キャスターが2人いる。ともにニュース番組で知名度を上げ、抜群の存在感を誇った。若手女子アナからは〝憧れの的〟である。

「この2人は〝今どきの女子アナ(キャスター)〟のパイオニア的存在だと思います」(芸能ライター・小松立志氏)

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まず1人目は安藤優子(1958年11月19日生まれ、千葉県市川市出身・64歳)だが、先日放送の『1周回って知らない話 2時間スペシャル』(日本テレビ系)で、フリーアナウンサーの神田愛花(元NHK)がこんな告白をして注目を集めた。

NHK時代を振り返る中でMCの東野幸治から「ちなみに、第1志望はどの局だったんですか?」と質問が飛ぶと、神田は、「ここでした。日本テレビです。こちらはダメで、(そのとき、日本テレビに入社したのは)鈴江奈々さんでした」と即答。

続いて、NHK退局の〝本当の理由〟を尋ねられると、「安藤優子さんになりたかったからです」と告白したのだ。

「安藤さんのような女性ひとりで報道番組をメインで任されるキャスターを目指していたんですけど、私が在籍していたころのNHKは、40代くらいまで経験を積んで視聴者の皆さまと現場のディレクターさんたちから信用を得られた人がなれるという風潮があったんです」と吐露。そして、「31、32歳くらいのときに東日本大震災を経験するんですけど、人の日常って真面目に普通に生きていても急になくなるんだということを実感しました」とコメントした。

「とにかく安藤は〝カッコ良く〟映ったのでしょう。そのころは〝男社会・真っ只中〟でしたから」(テレビ局関係者)

そんな神田の〝憧れの人〟安藤は、4月末からTOKYO MXで経済番組のMCとして出演。

「隔週ですが、ベンチャー企業などの経営者を招いてそのビジネスを深掘りする番組。まだまだ〝現役感〟バリバリです」(女子アナライター)

エレベーターでスカウトされて…

その一方、自身のインスタグラムでは〝ヒョウ柄のファッション〟を披露して話題騒然となった。

フォロワーから、『大阪のおばちゃんも真っ青!! よくお似合いです』『優子さんがヒョウ柄着たら、めちゃ上品です』などの声が上がった。

「さすが、〝目立ちたがり屋〟と揶揄される彼女らしい振る舞いだと思います」(前出のテレビ局関係者)

上智大学外国語学部在学中のころは、ホテルウーマンを目指していた安藤。

「そこで、海外留学費用を調達しようと都内の商業施設でエレベーターガールをしていたところ、偶然乗り合わせたテレビ朝日のプロデューサーに〝スカウト〟されたのです。外国人からの問いかけに、テキパキ答える姿に好印象を持たれたのです」(女子アナウオッチャー)

1980年、『BIG NEWS SHOW いま世界は』(テレビ朝日系)のリポーターとしてデビュー。『ニュースステーション』(同系)などにもリポーターとして出演したが、その後、上智大学に復学。卒業後、今度はフジテレビからオファーがあり、ここから本格的に報道に携わるようになった。

「以後、『FNNスーパーニュース』など、同局の報道の〝王道〟を歩むわけですが、彼女はフジテレビの社員でも女子アナでもありません。〝何かある〟と勘繰りたくなるのは自然な流れ。〝オヤジ殺し〟とのウワサもありました。当時は知る人ぞ知る〝隠れE級爆豊満〟で、パンパンに張っていましたから」(前出のテレビ局関係者)

2020年9月、『グッディ!』終了まで〝フジの報道の女王〟として君臨し続けた。

今年4月からは、椙山女学園大学の客員教授も務めている安藤の結婚歴は二度。一度目は1989年12月で、お相手は大手広告代理店マンだったが、4年足らずで離婚した。

「子供を欲しがる夫を〝拒否〟したのが原因と取り沙汰されました」(前出の女子アナライター)

二度目は2006年12月。

「今のご主人ですが、そのころは、フジの報道のエースディレクター。〝10年不倫〟〝略奪婚〟ともいわれました。2人の間に子供はいませんが、夫婦仲は良好のようです」(スポーツ紙放送担当記者)

写真家の篠山紀信氏が絶賛!

本誌と同い年2人目は、すでに65歳を迎えた小宮悦子(1958年4月18日生まれ)。東京都出身だが、小学校途中で埼玉県入間市へ移り住んだ。埼玉県立川越女子高校卒業後、東京都立大学人文学部へ。同大学卒業後の1981年、局アナとしてテレビ朝日に入社した。

「1985年10月スタートの『ニュースステーション』で初代サブキャスターを務め、一気にブレーク。MCの久米宏直々の〝ご指名〟でした。あの落ち着いたトーンの〝低い声〟が決め手となりました」(テレビ朝日関係者)

高校時代は放送研究会に所属していた小宮。

「すでに、女子アナになる気でいたようですが、一方で、『スイッチ・オン』というバンドを結成。ボーカルを担当し、荒井(松任谷)由実や『かぐや姫』『ハイ・ファイ・セット』などを気持ちよく歌っていました。案外、自己顕示欲が強かったようです」(前出の女子アナウオッチャー)

結婚は安藤と同じく二度経験している。1983年、まず広告代理店勤務の同い年の男性と結婚した。

「件のバンド仲間の1人でした」(同・ウオッチャー)

夫とともに標榜した『DINKs』(ダブル・インカム・ノーキッズ=子供を持たない共稼ぎ)は、大きな話題を呼んだ。

「理想のカップルとして、取材にもよく登場していました。とても幸せそうに見えました」(女性誌ライター)

しかし、それから数年後、小宮が番組スタッフの男性宅から〝朝帰り〟したところを写真誌にスクープされたことが原因で、昭和最後の日となった1989年1月7日に離婚した。

再婚は1994年。

「お相手は、当時『ニュースステーション』でディレクターをしていた10歳下の男性でした。入籍は12月31日。どうやら彼女は〝節目の日〟に何かをするのが好きなようです」(前出の女子アナライター)

その後、夫の浮気が発覚し、2007年3月に離婚。〝バツ2〟となってしまった。

「ま、男運は良くなかったかもしれませんが、『ニュースステーション』はうまくいき、彼女の存在感を高めましたね。〝美脚〟が視聴率アップに大きく貢献しました」(前出の女子アナウオッチャー)

写真家の篠山紀信氏はこの番組に出演した際、「このテーブルを考えたスタッフはすごい。小宮さんのスカートが時間とともに段々ズリ上がってきて、もう少しで見えそうだ。でも見えない。これが良いんです。見えちゃいけない。明日は見えるんじゃないかと視聴者はチャンネルを合わせる。これが素晴らしい」とコメントしたが、まさにその通りであった。

「また〝悦ちゃんの美脚が見たい〟という中高年のファンは多い。どこかで出てくれないかなぁ~」(前出・小松氏)

ともあれ、これからも〝マン65〟の2人のご活躍に期待しよう。

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