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「神経戦と暗闘」田中角栄の事件史外伝『史上最強幹事長―知られざる腕力と苦悩』Part8~政治評論家・小林吉弥

衆議院議員、自民党、首相=1973(昭和48)年8月5日撮影(C)共同通信社

田中角栄幹事長が総選挙で自民党に300議席をもたらせたにもかかわらず、佐藤栄作首相は選挙直後に内閣改造と党役員人事の断行に動こうとしていた。最大の狙いは、田中幹事長の交代であった。

この選挙の結果、田中が佐藤派内での〝田中系〟議員を増やしたことで、佐藤が田中の勢力拡大、勢いを警戒したことにほかならなかった。佐藤とすれば、田中がより力をつけることになれば、自分の政権の足元が脆弱化しかねない。また、自分がのちに退陣したあとの後継としたい福田赳夫に、出番がなくなるとの危惧があった。

佐藤はまず、田中と手を組んで党運営を仕切っている川島正次郎副総裁を呼ぶと、川島の副総裁を解き、衆院議長への就任を打診した。川島がこれを呑めば、田中も幹事長交代を呑まざるを得ないだろうとの読みである。

ところが、自民党内ピカ一の策士であり、「トボケの正次郎」の異名を取る川島は、一方で党内に独自の情報網を張り巡らせており、すでに佐藤の狙いは田中幹事長の交代との腹を読み切っていた。

まず、佐藤が「君に衆院議長をお願いしたい。今年は大阪で万博もある。多くの国賓が来るが、私一人ではさばききれない。助けてくれんか」と切り出すと、川島は最初からトボケぶりを全開にさせたのだった。

「それなら、むしろ恰幅のいい石井光次郞君のほうがピッタリでしょう。私などは、任にあらずですナ」

佐藤栄作と川島正次郎の“神経戦”

川島はすでに、佐藤が自分を衆院議長に〝棚上げ〟したあと、副総裁としての後任に石井光次郞を持って来ようとしていることも、独自の情報網からキャッチしていた。川島は、さらにピシャリとこう言った。

「総理。議長はお断りさせてください。副総裁として総裁(佐藤栄作首相)を補佐するといった縁の下の力持ちのほうが、私の性に合っていますんで」

川島が衆院議長を固辞する意思が固いと見た佐藤は、ここで矛先を変えた。

「分かった。ただ、これだけは聞き入れてもらいたい。副総裁は引き続き君にやってもらう。その代わりと言ってはなんだが、田中(角栄)君の幹事長を替えることは了承してくれんか」

川島は、ここで表情を固くした。

「選挙で大勝した幹事長を交代させるんですか。これは解せませんなぁ」

佐藤と川島の〝神経戦〟が続いた。

「いや、選挙で大勝させてくれたからこそ、田中君をその功に報いて、重要閣僚で入閣させたいということなんだ」

「総理、それなら本人の希望を聞いてやったらどうです。党内から私が直接聞いてみたところでは、皆、幹事長留任が当然と言っていましたよ」

凌いだ“田中潰し”の人事

これは、川島の策士ぶりを表わした言い回しだった。川島は田中の留任について、すでに党内各派と調整済みを匂わせてみせたのだった。

「いま幹事長を替えるというのは、党内の納得を得られる状況にはありませんナ。田中はあなたに〝棚上げ〟されたと思うでしょうし、党内からのあなたへの反感も強まるだけです。あなたも、この10月には(総裁としての)任期が切れる。そのときに党内がざわついているのは、これはよろしくありませんのでは…」

ここで、佐藤は言った。

「分かった。考え直してみよう」

しかし、佐藤は言葉とは裏腹に、そのあとなお前尾繁三郎、中曽根康弘、三木武夫らの派閥領袖に、直接、電話をかけては「田中幹事長は交代させ、後任に保利茂としたい」と了承を取ろうとした。しかし、いずれも「それでは党内が収まらないでしょう」との〝拒否〟であった。かくして、田中はかろうじて留任を果たすことができた。

しかし、この佐藤による〝田中潰し〟という「事件」を機に、田中は佐藤との距離の取り方を変えた。佐藤政権を支える中で、直線的に自らの力を蓄えていくという天下取りへの戦略を、ひとまず〝保留〟にしたのであった。

“田中派”誕生にジワリ…

幹事長続投が決まった直後に、田中は『朝日新聞』(昭和45年1月13日付)のインタビューで〝暗闘〟後の党運営などについて、自信たっぷり、ケロリとして次のように語っている。

「(ニヤッと笑いながら)佐藤首相と摩擦があったって…何もないさ。総選挙以来2週間、(特別)国会を控え、人事に手をつけるにはちょうどいい時期だが、間がもたなかったということもあるんじゃないか。でも、総裁が指名すれば、党内はシャンシャンといきますよ。それよりも『今回は300議席取ったから』といって、ノウノウとはしていられない。こちらのほうが先だ。国民の期待に対し、われわれは責務を果たさねばならない。と考えれば、自然に党内に問題はなくなる。大丈夫ですよ、自民党に何ら問題はない」

しかし、この人事の「事件」後、田中を佐藤の後継としたい田中シンパの議員のほうが、ジワリ動き出した。佐藤ににらまれることをいとわず、田中派へ向けての「核」づくりに動き始めたのであった。

田中も、あえてこれは容認した。佐藤とのこれからの暗闘も、覚悟の上ということであった。

(本文中敬称略/Part9に続く)

【小林吉弥】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。最新刊に『新・田中角栄名語録』(プレジデント社)がある。