島田洋七 (C)週刊実話Web
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よく行く寿司屋で東尾修さんたちと…~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

以前、元西武ライオンズ監督の東尾修さんに、下積み時代に大阪でたまたま声を掛けて、それ以来、付き合いが始まったことを書きましたね。東尾さんとは埼玉・所沢市の小手指に近い澤寿司という店へよく飲みに行きましたよ。


あるとき、俺がテレビ朝日の仕事で三重県の海女さんを取材することになった。まだ日本の景気が良かった頃だから、潜っている海女さんを映すために水中カメラなんかもどんどん使ってね。海女さんは元気でしたね。潜ってはアワビをたくさん取ってましたよ。


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取材が終わり、帰ろうとすると海女さんが持って帰りなさいとアワビを10個、手渡してくれた。「東京戻ったら、すぐに水槽に入れれば大丈夫」と言われたんですけど、自宅にアワビが10個も入る水槽なんてないでしょ。それで澤寿司へ行って、預かってもらうことにしたんです。


4~5日後、試合後の東尾さんと澤寿司で夕飯を食べる約束をした。店で待っていると、東尾さんが選手を数名連れて来て、まずは軽くビールを1杯。選手もシーズン中だから、そんなに飲まないんですよ。寿司屋の大将に「アワビ出して。生をちょこっと、あとはステーキにして」と注文すると、「お陰様でよく売れました」。「今、何言うた?」、「活きが良くて美味しかったです。お客さんにも好評でした」、「いや、俺は預かっておいてと言うたつもりやけどな。半分はエエわ。残りの半分は残しておいてほしかったわ」。


それを隣で聞いていた東尾さんは「洋ちゃん、10個も持って帰ってきたなんて嘘なんじゃないの?」、「本当やって。持って帰ってきて預けたよ」。仕方ないから、店にあるアワビを焼いてもらって食べましたよ。

若き日のイチローにも…

飲んでいると、オリックスの若手選手が2人店内に入ってきた。若手だったから払いは俺がしました。後から知ったんですけど、その1人が今のイチローだったんです。イチローは、入団当初は特別目立つ選手じゃなかったから分からなかったんですよ。

同じようなことがクジラでもあったんです。九州へ仕事で行くと、知り合いが7キロくらいある冷凍のクジラを送ってくれるという。冷凍のクジラを少しだけ溶かしてルイベのようにして食べると美味しいんです。でも、7キロもあるクジラは自宅の冷蔵庫には入らないから、また寿司屋に預けていたんです。後日、クジラを食べるのを楽しみに、寿司屋へ行くと、


「あんないいクジラはなかなか手に入らないんですよ。みんな美味しいと言って売り切れました」


大将は仕事中も酒をよく飲むんですよ。後から奥さんに聞いたら、営業中から飲み始めて、店を閉める頃にはベロベロらしいんです。自宅まで歩いて4~5分なのに「店で寝てしまう」と話してましたね。全く悪気はないんですけど、酔っているから俺が言ったことを忘れちゃうんですよ。他にも「なんで洋七さんと東尾さんは知り合いなんですか?」と10回くらい聞かれましたからね。


アワビを勝手に売られてしまい、若き日のイチローとは知らずにご馳走した日は、店にあったアワビを食べたのに、そのお代もしっかり取られましたね(笑)。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。