松前ひろ子 (C)週刊実話Web
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『令和の“応演歌”』松前ひろ子~8年のリハビリ生活があってこその歌手生活(後編)

――前編では、松前さんがデビュー後に大怪我をされ、その後8年間のリハビリを経て再デビューするまでを伺いました。歌手生活が53年にも及ぶわけですが、振り返っていかがですか?


松前 53年のうち8年間は怪我でお休みしました。その8年間を作曲家の弦哲也先生が「ひろ子ちゃん、8年マイナスだから大丈夫だよ」と気を楽にしてあげようとおっしゃっていただいたのは嬉しかったですね。


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ここまで歌手生活を続けてこられたのは、子どもたちの存在も大きかったです。子どもが成人したとき、手紙をくれたんです。小学校高学年から「売れない演歌歌手の娘」とイジメられていたと、そのとき初めて知りました。全国各地を回り、旅先から学校行事には駆けつけていましたが、目立ったようなんです。もし私が売れていなかったら、子どもたちは悲しんでいたんだなと。それでも私が頑張る後ろ姿を見て、子どもたちは個々に強く逞しく、自由に育ってくれました。


また、北海道の実家の前には、「歓迎 北島三郎」と横断幕が吊るされているんですね。いつか「歓迎 松前ひろ子」という横断幕を掲げ両親を喜ばせたい気持ちも、長く続けてこられた秘訣かなと思います。


――親孝行はできました?


松前 横断幕を見せることはできませんでしたが、母が存命中に、『NHK新ラジオ歌謡』楽曲に選ばれ、3カ月間毎週生放送で『母ざくら』を歌ったんです。しかも、田舎の函館公園に桜の記念植樹をさせていただき、母が出棺のときにも歌って送り出しました。


私の心の中では、曇りガラスのような親孝行の形ですが、周りの方々には親孝行したと言われます。だからこそ若い人たちにはできるときに、親孝行をしなさいとアドバイスしています。

ファンとカラオケ大会

――デビュー54年目の5月10日にも新曲『居酒屋 夢あかり』をリリースしました。どんな曲ですか?

松前 夫亡き後も店を1人で切り盛りする女性を歌った夫婦演歌になります。居酒屋さんは、暖簾が命だそうです。ですから、1番では「暖簾を出すたび」、3番では「暖簾をしまって」という歌詞で始まるんです。


作詞家のかず翼先生からは「居酒屋が舞台になっていますけど、これはご主人が亡くなった後も自らの会社を切り盛りしている松前さんがテーマなんですよ」とおっしゃっていただいたんです。


――今回の新曲でもカラオケ大会を開催されるようですね。


松前 そうなんです。新曲を出す度、カラオケ大会を開催しています。新曲はカラオケ大会の課題曲にもなっているんです。優勝者には、レコーディング体験と盾が贈られるんですね。CDジャケットも作成し、世界に1枚のオリジナルCDにして差し上げています。


――それはファンの方は喜ばれるでしょうね。


松前 南は九州、北は北海道と全国から何度もチャレンジされる方もいらっしゃいます。大会の基準は、メロディーや歌詞を間違えると失格、と明確な基準を設けています。多くの方に参加いただいています。


ただ、歌手生活55周年のカラオケ大会では、年代別のチャンピオンを設けようかと考えています。そうすることで、より多くの方にチャンピオンになっていただき、オリジナルCDをプレゼントしたいんです。
まつまえ・ひろこ 北海道上磯郡知内町出身。従兄である北島三郎の内弟子として修業後、1969年にデビュー。その後、大怪我を負うが、8年後、再デビュー。今年5月10日『居酒屋 夢あかり』をリリース。