3月28日に死去した世界的な音楽家・坂本龍一さん(享年71)は、亡くなる数日前に家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほどだったという。坂本さん以外にも、凄絶な闘病の末に旅立った著名人は多い。
〝昭和の歌姫〟美空ひばりさんの闘病も壮絶だった。
1985年の誕生日記念ゴルフコンペでプレー中に腰をひねり、腰痛を訴え始めたひばりさんは、症状が徐々に悪化。1人で段差を越えることも困難なほどの激痛に耐えながら仕事を続けていたが、87年4月22日に公演先の福岡市で極度の体調不良を訴え、現地の総合病院に緊急入院した。
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骨が壊死し、足腰に耐えがたい激痛を伴う「大腿骨頭壊死症」という難病と診断され、「肝硬変」も進行していた。
同年7月17日には石原裕次郎さん(享年52)が亡くなり、ひばりさんにも〝再起不能説〟がささやかれたが、8月3日に無事退院。病院の外で待っていたファンに投げキッスで応え、「お酒はやめますが、歌はやめません」と復帰をアピールしたのである。
「しかし、病気は完治していなかった。肝機能の数値は通常の6割程度しか回復しておらず、大腿骨頭壊死の治癒も難しいとされ、歩行困難の状態は続いていたんです」(芸能記者)
「それだけはやらせて」
退院後も自宅やハワイで静養しながら、その間に新曲『みだれ髪』のレコーディングに臨み、88年4月11日の伝説の東京ドーム復帰公演を迎える。
「楽屋にベッドを運び込み、ドームには救急車も待機。開演直前まで点滴を受けていたそうです。それでも完璧なステージをこなしたのですから、たいしたものです」(同・記者)
コンサートの最後には100メートルの花道を歩く演出があり、最愛の〝息子〟加藤和也さんから止められたが、「それだけはやらせて」と懇願し、見事に歩き切った。
「最後のスモークの中、ひばりさんは倒れ込み、待ち受けていた和也さんに抱えられ、そのまま救急車で病院に運び込まれました」(前出・芸能記者)
最終的には、肺の組織が損傷して呼吸困難に陥る「間質性肺炎」を発症。89年6月13日に容体が急変し、24日午前0時28分、和也さんに看取られて52年の生涯を閉じた。
「のちに和也さんは、電気ショックでひばりさんの蘇生を試みる医師に対して、3回目のチャージの時に『もう止めてください』と言ったことを明かしています。壮絶な闘病を間近で見てきた和也さんは、『このまま逝かせてあげたいと正直に思った』そうです」(同・記者)
翌月、ひばりさんは「歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた」として、女性初の国民栄誉賞を受賞した。
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