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女優/水沢アキインタビュー〜スタジオ経営もこなしながらの芸歴51年目。キュートな声は健在!

水沢アキ
水沢アキ(C)週刊実話Web

今年、芸能生活51年目を迎えた水沢アキ。最近はドラマから退き、通販番組の司会やバラエティーの出演が多いが、3年前には集大成とも言えるフルオープン写真集を発売して話題になった。また、実業家としてレンタルスタジオを経営。コロナ禍も乗り越え、今は寝る間もないほどの忙しさなんだとか。婚約解消騒動、結婚・離婚…と波乱に富んだ人生の秘話と、65歳フルオープンの〝真相〟を聞いた。

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――話題になった写真集『AKI MIZUSAWA 1975-2020』は、45年間、1人のカメラマン(篠山紀信)が同じ女性を撮り続けたことがギネス級だと話題になりました。そこに収録されている写真には〝秘密〟があるそうですね?

水沢 そうなんです。歌手デビューしたばかり(73年のシングル『娘ごころ』)の、売り出し中アイドルがフルオープンなんてもってのほかで、絶対に禁止でした。グアムでの水着撮影だったのですが、当時はマネジャーが仁王立ちで監視していましたね。でも、そこで篠山さんが「ビキニの上を取ってTシャツ1枚で海に入ってごらん」って。すると服が濡れて、ほぼフルオープンのような写真になったんです。

――あれはセクシーでした。覚えている男性も多いと思います。初めてのヌード撮影はいつだったんですか?

水沢 23歳のときに『GORO』(小学館)のグラビアで水着の写真で登場したのですが、実は数枚だけ撮っていたんです。当時は掲載されず、それが世に出たのは、何と17年後でした。25歳のハワイや30歳の鎌倉、軽井沢でも撮りました。すべて篠山紀信さんです。

――清純派の水沢さんがよくフルオープンになりましたね。

水沢 父親がとても厳しかったこともあり、絶対に認めてもらえないんですけど、篠山さんだと雰囲気に乗ってしまうというか、抵抗なく撮られてしまうんですよね。

――それだけ信頼を寄せていたということですね!?

水沢 私にとって篠山さんは、日本を代表するカメラマンで、とても尊敬しています。たまたまご縁があり、『P.and(ピーアンド)』(小学館)という育児雑誌で、元主人とツーショットで出たり、長男のジュリアンが生まれたら家族で撮影していただいたり、第2子のフランセスも同様に、家族写真が掲載されました。本当に長いお付き合いです。

65歳で撮影したものは1枚だけ…

――厳格な家庭ということでしたが、ご両親は写真集についてはどのように言ってました?

水沢 実は40歳でフルオープンで写真集を出したときに、父にものすごく怒られて勘当されたんです。その父はもう亡くなりましたけど、今回の写真集のことを知ったら天国でまた怒っていると思います。母からも「恥ずかしくて近所に買い物にも行けないわよ」と怒られました。

――若い頃と現在の自分が同じ写真集に載ることについてはどうですか? 読者に比較されてしまうわけですが。

水沢 その点については、撮影前に篠山さんからはとくとくと講義されました。「もし今、水沢さんが昔のように綺麗で肌も突っ張っていたら不自然でしかない。子育てや離婚で苦労したことが年輪として顔に出るんだから全然卑下することはないよ。刻まれたシワの1本1本に重みを感じるのだから堂々としてなさい」って。それで私、むしろ変化を楽しんでいただいてもいいのかなと思いました。

――なるほど。で、65歳で撮影された感想は?

水沢 ちょうど引っ越しのタイミングだったので、家の中はダンボールの山でした。業者に頼まず、私1人で梱包作業をするから時間がかかっちゃって…。桜の時期でもあり、窓からとても綺麗な光景が広がるんです。せっかくだからそこで撮っていただきたいと、開花予想とにらめっこしながらでした。スタッフの方がリビングのダンボールを片付けてくれて、なんとかスペースを作ったんです。篠山さんは「今でも十分綺麗だよ」と仰ってくださったんです。実は撮影前の数カ月間は筋トレで体を引き締めていたんですよ。なのに…写真集が出来上がったら、65歳のフルオープンはたったの1枚。しかも、1ページの半分以下のサイズだったんです(笑)。「そういうもんだったんだな、私の体は」と思いましたね。でもまあ、付録的な扱いにせよ、その写真を出したということは潔かったなと思います。自分を褒めてあげたいです。

――ということは、写真集が完成するまで、写真は見てないんですね?

水沢 私、自分のフルオープン写真は恥ずかしくて見られないんです。表情を見るのが精一杯。なので、選ぶことも絶対にしません。プロの方にお任せしました。

ウマい話に乗せられ…

水沢アキ
水沢アキ(C)週刊実話Web

――最近の水沢さんは司会や講演会などで活躍されてますね。

水沢 私、芸能界が大好きなんですけど、昭和の女優なので今はのんびりしたいんです。お付き合いのある芸能人は1人もいないし、芸能ニュースも一切見ません。事務所にも入ってないので、今回だって私のことを探すの大変だったでしょう?(笑)。SNSもやってなければホームページもないんです。

――今はレンタルスタジオの経営に力を入れてるそうですが、そもそもどうしてここを経営することになったのでしょう?

水沢 42歳でヒップホップに目覚めて通い続けたダンススタジオを無理やり買わされたんです。それが還暦のときですから8年前になります。ところが、フタを開けてみたら大赤字。68人ものスタッフを抱え、人件費だけでも毎月大変な出費でした。

――それまでに経営の経験はあったんですか?

水沢 まったくないです。知り合いの方からは「早く潰すべき」と言われましたが、そしたら投資したお金がすべてパーになっちゃう。何か打開策を…と考えたときに娘のアドバイスで閃いたんです。当時娘は人気番組の『テラスハウス』(フジテレビ系)に出た直後で、「マミー、これからはシェアオフィスの時代よ」の一言がヒントとなり、レンタルスタジオにたどり着きました。経費を浮かすために24時間365日営業をしています。人件費もかけられないので、予約の受付から掃除、備品管理まで全部私1人でやってるんです。今日もこのインタビューが終わったらいったん家に帰りますが、18時に新規のお客様がいらっしゃるので私が受付をします。さらに深夜のお客様の受付をし、早朝には掃除に来ます。早朝から利用すると割引があるため、大学生のサークルなどに人気があるんですよ。そんなわけで、家にいてくつろぐ暇もないんです。

――スタジオを借りに来た人から「あ、水沢アキだ」と気づかれませんか?

水沢 若い子は私が女優だということをぜーんぜん知りません。「じゃあ、篠山紀信さんは知ってる?」と聞くと、今の大学生は知らないんですね。「そうかぁ。じゃあ最後の写真集を出そう!」と思い、私から発案したんです。

――そういう経緯があったのですね! では、最近はどんなことに興味がありますか?

水沢 コロナ禍もあって、CS放送などで自分が出演している『ザ・商社』(NHK)、『JIN-仁』(TBS)『家政婦は見た!』(テレビ朝日系)『遠山の金さん』(同)など、時代劇やドラマの再放送を初めて通しで見ることにハマっています。当時はものすごく忙しくて、リアルタイムでオンエアを見る時間もなかったんです。また、今年の初めには脚本家の岩間芳樹さんを語る会というのがあって、出演者の私も呼ばれてご挨拶をしました。とても印象的な作品となったNHKの『ビゴーを知っていますか』などを、映画用の大スクリーンで見たんですけど、めちゃくちゃ感動しました! 当時は台本をちゃんと読み込む時間もなければ演技プランもなしに撮影に臨んだんだと思うんですけど、改めて見るとめちゃくちゃ可愛かったし演技もうまかったんですよ(笑)。忙しさに流されてるだけの毎日だった私が、あんなにちゃんと演じていたんだと思うと、うれしかったですねぇ。

水沢は1983年、俳優の国広富之と婚約したが、芸能マスコミに「二股交際」と騒がれて婚約を解消。86年、英語教材会社を経営する米国人ビジネスマン、ガイ・スィーヒと結婚し1男1女をもうける。93年に離婚したあと、バブルが崩壊して6億5000万円の住宅ローンを背負ったが11年で完済した。長男のジュリアンは米国に在住し俳優として成功を手にしつつあり、長女のフランキー・スィーヒは壁画作家として名を揚げている。

老後の計画はバッチリ!?

――2人のお子さんとの関係は良好ですか?

水沢 長男はニューヨークで俳優をやっていて、昨年出演した舞台(Take Me Out)がトニー賞を受賞したんです。長女は壁画作家として日本を拠点にしながら世界中で活躍しています。

――ここまで聞いてきて、とてもお元気だし、声は本当に変わらないですね。ちょっと高めでキュートなトーンは『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)での溌剌としたレポートを思い出します。

水沢 ほんとですか? ありがとうございます。うれしい♪ やっぱり、元気の秘訣は大きな声を出すことですよね。十代でデビューして、舞台から3階の客席まで聞こえる発声を叩き込まれたのが体に染み付いてるんだと思います。

――美容に関するこだわりなどはありますか?

水沢 これも2通りあると思うんです。整形やフェイスリフトをして若さを保つ方と、私みたいに何もしないで自然のまんま年を重ねていくタイプと…。なにしろ、若いときは『なるほど〜』のロケばかりでなく、南の島にどれだけ行ったか。夏休みに子供を連れていくなど、とにかく真っ黒になりたかった時期があるんです。恐れもなく日焼けしたのに、シミやソバカスは意外にないんですよ。

――離婚以来独り身が長いわけですが、老後のパートナーのことなどは考えていますか?

水沢 いいえ。1人で生きたくて離婚したんですから、逆にいたら面倒くさいですよ。ガイ(元夫)のことは最高の男性だと今でも思いますし、ガイ以上の男性はいません。誰からも邪魔されず自由を満喫しながら生きていきたいんです。恋愛的なことは40歳くらいでやめにしました。

――老後のプランもバッチリできている?

水沢 はい。ぜんぶ、お膳立てができています。80歳を過ぎて体が辛くなったら入ろうと思っているホームの候補が二つあるんです。一つは東京・西麻布に建設中の高級ホーム、もう一つは鴨川(千葉県)にあるオーシャンビューのホームに決めています。若いときにたっぷり税金を収めたのに年金はちょっぴりですからね。自分で頑張らなくちゃ、とこれからもスタジオ経営に力を入れますよ!!

◆みずさわあき
1954年12月5日生まれ。高校在学中にスカウトされ、72年、TBS系ドラマ『夏に来た娘』で主役デビュー。75年からはNHKのクイズ番組『連想ゲーム』に紅組の解答者としてレギュラー出演して人気に。現在は『イチおし!プレミアム』(日本通販グループ)レギュラー。趣味はヒップホップと英語の勉強。水沢が経営するのは『ブロンクスレンタルスタジオ』。

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