田中好子 (C)週刊実話Web
田中好子 (C)週刊実話Web

「役で何回も死んだけど、死ぬことに実感がない」乳ガンに苦しめられた田中好子【著名人の壮絶な闘病4】

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1970年代に一世を風靡した伝説の3人組アイドルグループ・キャンディーズのメンバーで、女優としても活躍した田中好子さんだ。


「スーちゃん」の愛称で親しまれた田中さんは、結婚翌年の92年に左胸に最初のガンが見つかったが、治療で克服。その後19年間、様々な病気で闘病していたが、芸能活動は辞めなかった。


16歳でキャンディーズのメンバーとして芸能界入りした田中さんは、『年下の男の子』『春一番』などのヒット曲を連発し、一躍トップアイドルの座に上り詰めた。


キャンディーズは、レコードデビューからわずか4年半の78年4月4日に解散。「普通の女の子に戻りたい」と宣言していたが、田中さんは80年に女優として芸能界復帰した。

感謝の肉声を録音し告別式で流す

今村昌平監督作の映画『黒い雨』(89年)で各映画賞の主演女優賞を総なめにし、2001年のNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』では、子どもたちを温かく見守る母親役を好演。シリアスな役からコミカルまでこなす女優としてドラマや映画などで幅広く活躍し、最後まで復帰をあきらめなかったという。

「のちにインタビューに応じた女性マネジャーが、看病の最中に何気なく『何かやりたいことはない?』と聞いたところ、田中さんは『女優がやりたい』と答え、動揺したと明かしています」(芸能記者)


左胸に続いて右胸にもガンが見つかり、肺と肝臓にも転移していたという田中さん。10年10月に十二指腸潰瘍で入院。高熱が続き、絶食状態となって体力と免疫機能が低下し、一度は自宅療養できたものの、ついに帰らぬ人となった。


女性マネジャーは、田中さんのこんな言葉も明かしている。


「役で何回も死んだけど、死ぬことに実感がない」


亡くなる3週間前には、「大勢の人に支えられて生きてきたので、最後にお礼が言いたい」と肉声を録音し、感謝の言葉が告別式で流された。