(画像)VTT Studio / Shutterstock.com
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『性産業“裏”偉人伝』第9回/ストリップ劇場主~ノンフィクションライター・八木澤高明

待ち合わせ時間に20分ほど遅れる大失態をしたこともあり、恐縮しながら店内に入ると、パソコンを開いて作業をする会社員やこの土地ならではの派手なシャツを着た男たちに混じり、一人、がっちりとした体形の男がソファに座りスマホをいじっていた。


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彼の名前は、岡野。かつてこの喫茶店から100メートルも離れていない場所にあったストリップ劇場の社長だった男である。


私が岡野に会うのは12年ぶり。しかし、私の第一声は、「遅れて大変申し訳ありません」という、なんとも情けない限りだった。


幸いなことに、岡野は顔をしかめることもなく、「大丈夫ですよ」と笑みを浮かべながら言ってくれた。


岡野が社長を務めていたのは、ストリップファンなら誰でも知っている『新宿TSミュージック』という劇場だった。


私が、ストリップ劇場の取材をしていたのは、2010年前後のことだった。当時から、経営難や摘発などで劇場がぽつりぽつりと消えていき、年々ストリップ劇場への逆風は強まっていったなかで、2017年の摘発によって、新宿TSミュージックは幕を下ろしたのだった。


現在、実家の家業を継いでストリップ業界とは離れた岡野に、摘発に遭った経緯から聞いた。


「まったく寝耳に水だったんですよ。もう、うちに来ることはないだろうなと思っていました。20年ぶりの摘発でしたからね。理由を強いて挙げれば、オリンピックが近づいていたから、その見せしめぐらいしか思いつかないんですよ」


岡野は、今でも納得がいかない思いを抱えているのだった。というのは、劇場の経営は調子が良く、まだまだ経営を続けていける状況にあったからだ。


「税金もしっかり払っていましたし、インバウンドの影響もあって、中国人を中心に外国人のお客さんが増えていたんです。こちらも外国人のお客さんを意識して、着物の女の子を入れたりしていたんです。年商は2億5000万円ぐらいあったんで、日本でいちばんの売り上げだったと思いますよ」


外国人観光客だけでなく、日本人の客層にも変化が見えていたという。


「どこの劇場も先細りになっていて、色々と模索していたと思うんですが、草食系の男性が増えて、オタクのお客さんや女性のお客さんが目に見えて増えていました。そうしたお客さんたちのこだわりを汲み取って、地下アイドルみたいな踊り子を育てていったら面白いなと思っていました。そうしたところに、摘発が入ったんです」


摘発には遭ったものの、明るい未来はあったことから、すぐにでも岡野は営業を再開するつもりだった。


「摘発後に営業停止の処分が下されたんですが、たいていの劇場は営業停止で体力が持たずに廃業してしまうんです。ただ、うちの場合はまだ体力があったので、再開しようと思っていたんですが、大家さんから水漏れがあると訴えられて、退去命令が出されてしまったんです。それで、万事休すでした」

ヤクザや黒人に絡まれても

岡野の人生において、初めてストリップ劇場に入ったのは、中学生のときだったという。

「一緒に遊んでいて、お兄さんに連れられて行ったんですよ。そうしたら、まな板ショーをやっていました。なんのことか分からず、ジャンケンをしろと言われて、みんなでジャンケンをさせられました。性行為をするジャンケンだと知って、びっくりしました。恥ずかしくて、負けろと思いながらジャンケンをして、負けてほっとしたのを覚えています」


まな板ショーの記憶ぐらいしかストリップと接点のなかった岡野が新宿TSミュージックの社長になったのは、今から20年ほど前のことだった。それまでストリップ業界とはまったく縁もなく、一から仕事を覚えたと明かす。


「最初の1年は、無休で働きましたね。自分が責任を持たないといけないので、必死でした」


トラブルも少なくなかったという。


「当時は、怖いおじさんたちも元気でしたし、劇場に入ってきたヤクザともめたこともありました。あと黒人の客引きに、うちの女の子が絡まれたことがあったんです。しつこく声を掛けられたと女の子から苦情があったので、嫌だなと思いましたが、女の子をサポートしないといけないし、客引きに舐められてもいけないんで、注意しに行ったんです」


すると、客引きの黒人は、「うるせぇー」と、聞く耳を持たなかった。


「そのまま引き下がっては、調子に乗せてしまいますからね。一発ぶん殴ったんです。そうしたら、向こうも向かってきましたが、なんとかやっつけることができました」


社長就任以来、幾つもの修羅場をくぐってきた岡野は、時には腕っ節で存在感を示したのだった。一方で、100人近い踊り子たちを劇場から送り出した。


「人それぞれ見せ方がありますが、舞台を見ていて、したいなと思わせたり、指先までしっかり意識がある子は、いい踊り子なんじゃないでしょうか。自分で自分の魅力を見いだせる子は、人気が出ましたよね」


ストリップ業界での歴史を振り返ると、あっという間の20年だったと語る。ただし、ストリップの摘発について、納得がいかない気持ちに今も変化はない。


「公然猥褻には違和感しかないですよね。完全に施設内のショーですからね。もし取り締まりたいんなら、別の法律があってもいいんじゃないでしょうか」


その思いは、ストリップ業界に末長く残って欲しいという気持ちの表れなのだった。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。