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アントニオ猪木「マツダ!明日殺してやるからな!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

「マツダ!明日殺してやるからな!」アントニオ猪木
「マツダ!明日殺してやるからな!」アントニオ猪木 (C)週刊実話Web

アメリカマットで活躍した日本人レスラーは数多いが、純然たるベビーフェイス(善玉)として長期間トップを張った選手となると、ヒロ・マツダが唯一無二の存在ではないか。そんな偉大なレジェンドに対して、アントニオ猪木は「殺してやる!」と言い放った…。

団体経営者としてのジャイアント馬場とアントニオ猪木を比較したときには、おそらく「馬場の圧勝」とする評価が大多数を占めるだろう。

ただ、初期の新日本プロレスが全日本プロレスを上回っていた部分があったとすれば、フリーや他団体の日本人レスラーの扱いか。

エースの馬場と後継者のジャンボ鶴田という明確な方針があった全日からすれば、日本人ライバルに重きを置く必要がなかったのかもしれない。人気絶頂だった頃の長州力ですら、鶴田と比べればどこか格下の雰囲気を拭えなかった。

一方、新日においては外国人レスラーの招聘ルートが乏しかったこともあり、積極的に日本人選手を重用してきた。その結果として、最終的には猪木が勝つにしても、ストロング小林や大木金太郎は生涯ベストバウトとも言える名勝負を披露している。

また、ヒロ・マツダのように当初は全日に参戦していながら、新日に戦いの場を移した選手もいる。

修業時代の猪木とタッグを組んでいたヒロ・マツダ

マツダの場合、米国でプロモーター業も手掛けていたことから、新日と提携することでビジネスチャンスにしようという考えもあったようだが、選手としてはすでに全盛期をすぎていながら、北米タッグ王座に就くなど(パートナーはマサ斎藤)の厚遇を得ている。

60年代の米国マット界はまだ太平洋戦争の傷跡も生々しく、米国の敵だった憎き日本人は悪役とされるのが当たり前だったが、マツダは「日本人のベビーフェイス」という異例のポジションを築いている。

その理由は高い技術力。カール・ゴッチ仕込みのレスリングにより、1964年にはダニー・ホッジからNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得している。

ホッジは抜群の跳躍力から〝鳥人〟と呼ばれると同時に、片手でリンゴを握りつぶす怪力パフォーマンスで知られたレスラー。並外れた身体能力を誇り、今なお〝最強〟と称される1人である。

マツダはそんなホッジと互角に渡り合い、ホッジ自身も「現役時代の強敵」としてマツダの名を挙げている。なお米国修行時代の猪木は、66年にマツダのパートナーを務めて、テネシー州版NWA世界タッグ王座を獲得している。

ヒロ・マツダの“役どころ”は「狼軍団」の総帥

そんなマツダの新日初登場は78年7月。国際プロレスを離脱した剛竜馬が藤波辰巳(現・辰爾)のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦する際、コーチ役としてセコンドについている。

マツダ自身の参戦は、同年11月に開催された『プレ日本選手権』。かねてから猪木が提唱してきた「プロレスラーの実力日本一を決定する」ための前哨戦的な大会であり、新日所属選手とフリーの日本人選手によって、予選リーグ&決勝トーナメントという形で争われた(猪木とマツダはシードで予選免除)。

同シリーズでのマツダの役どころは、フリーとして参戦したマサ斎藤、上田馬之助、サンダー杉山、剛竜馬ら「狼軍団」の総帥というもの。しかし、猪木が欧州遠征のため不在だったシリーズ前半、正統派のマツダと斎藤と剛、ヒール(悪役)の上田と杉山で狼軍団は分裂する。

それぞれ選手の持ち味からすれば自然な流れであったが、猪木が帰国すると狼軍団は再度結束する。これは猪木VS狼軍団の対立構図を明確にするためだが、実はもう一つ狙いがあった。

アントニオ猪木と「狼軍団」の遺恨が最高潮に!

猪木とマツダが順当に決勝へコマを進めて、12月16日の蔵前国技館大会で優勝決定戦が行われることになったのだが、その前々日の大阪府立体育館大会では、猪木がボブ・バックランドのWWWFヘビー級王座に挑戦するタイトルマッチが組まれていた。

ここにマツダ率いる狼軍団が乱入したのだ。試合結果は両者とも、狼軍団に流血させられた上での猪木のリングアウト勝ち(タイトル移動はなし)。

猪木とバックランド、双方が負けられない王座戦をうやむやにし、さらには優勝決勝戦に向けての因縁づくりという一石二鳥の乱入劇であったが、それをかつて自身も世話になったマツダにやらせるというのは、良くも悪くも猪木のいい加減さのなせる業だろう。

試合後にはマイクを手にして「マツダ! 明日殺してやるからな!」と絶叫した猪木。試合は明後日なのに明日と言ったのは単純なミスだとしても、「殺してやる」という単刀直入な文言がすさまじい。

演出上のこととはいえ、ここまで言われたら気分がいいはずもなかろうが、それを受け入れたマツダもさすが一流の貫禄といったところか。なお決勝戦は、猪木が卍固めでマツダを下している。

《文・脇本深八》

アントニオ猪木
PROFILE●1943年2月20日生まれ。神奈川県横浜市出身。身長191センチ、体重110キロ。 得意技/卍固め、延髄斬り、ジャーマン・スープレックス・ホールド。

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