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『令和の“応演歌”』謝鳴~孤独を感じたからこそ“感謝の気持ち”を感じる(後編)

謝鳴
謝鳴(C)週刊実話Web

――前編では中国で1986年に歌手デビュー。その後、スターの座を約束されたにもかかわらず来日。数々の苦労を経て2002年に『Mandara〜夢に包まれながら〜』で念願の日本でのデビューを果たすまでの話を聞きました。日本デビュー20周年を迎えましたが、振り返ってみて、当てはまる言葉はありますか?

【関連】『令和の“応演歌”』謝鳴~どうしても日本でデビューしたく中国との行き来(前編) ほか

謝鳴 「感謝の気持ち」ですね。その気持ちでいっぱいです。周りで支えてくれる方々に恵まれ、ここまで活動することができました。多くの方にサポートしていただきました。運が強い方かなと思いますね。

――「感謝の気持ち」という言葉と同時に思い浮かぶ顔はどなたですか?

謝鳴 たくさんいらっしゃいます。レコード会社の方々、日本でのデビュー前からずっと応援していただいているファンの方々…本当にたくさんの方々に支えられました。

――今年2月22日には荒木とよひささん作詞・作曲の『Tokyoに傷ついて』をリリースしました。どんな曲でしょうか?

謝鳴 私自身、中国の上海から憧れを抱き来日し、東京で生活してきました。ただ、東京という街に魅力を感じながらも、コロナ禍で母国に帰りたいけど帰れなかったときに感じた故郷への愛や、胸の痛いニュースを目にすることもあったんです。中でも、孤独を感じたことが一番大きいですね。そういう思いが今回の曲、特に2番の歌詞と重なっているんです。

歌詞は日本語と中国語を合わせて

――なるほど、実体験に近い歌詞になっていると。ところで、特に孤独を感じた時期はいつですか?

謝鳴 実は、7年前に最愛の主人を亡くしたんです。時期を同じくして、支えてきていただいた方が相次いでお亡くなりになりました。そのときに非常に孤独感に苛まれましたね。そういう経験を経て、今回の曲にめぐり合ったので、歌い方も荒木先生と相談し、以前と変えました。

また、他の方に理解されずに苦しんだこともあったんです。

――昨年は「日中国交正常化50周年」でした。中国と日本の架け橋になりたい気持ちのある謝鳴さんは、どんな活動をされたのでしょうか?

謝鳴 昨年は日本、中国両国のコンサートやイベントに出演させていただきました。例えば、全華連(全日本華僑華人社団連合会)主催のイベントで、自民党の議員の方々、中国大使館の方々を前に歌を披露したように、ですね。

また、今年5月8日には、池袋のメトロポリタンホテルで荒木由美子さん、中澤卓也さん、チェウニさんらと20周年記念のディナーショーを開催する他、上海でも今年の9月、もしくは10月にコンサートを予定しています。

――中国で歌う際は歌詞を中国語に変えるんですか?

謝鳴 中国でもほとんどの曲を日本語の歌詞のままで歌うんです。オリジナル曲でもサビだけ、または1番を日本語で2番の歌詞だけを中国語に翻訳して歌うとお客さんも喜んでくれるんです。そういう風に歌うことで、中国と日本の文化の交流、もっと言えば、架け橋になっていければ嬉しいですね。

シャメイ
11月15日、中国・上海市出身。中国で歌手デビューし、スターの座を約束されるが、単身来日。2002年『Mandara〜夢に包まれながら〜』で日本デビュー。今年2月『Tokyoに傷ついて/契られて…そして』をリリース。5月8日、20周年記念ディナーショーを東京・ホテルメトロポリタン池袋にて開催。

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