(画像)Taya Ovod/Shutterstock
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空前のバンドブーム『イカ天』の絶頂と凋落~第17回『放送作家の半世(反省)記』

『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)の企画会議に呼ばれた後、正直に言って私の中にも「今更バンド?」の気持ちはあった。


なぜなら1970年代後半に実施された東京・原宿の歩行者天国(通称ホコ天)には、ローラー族(50年代ファッションでロカビリーを踊る若者たち)や竹の子族(現在も竹下通りで営業中の『ブティック竹の子』の服を着て踊る若者たち)に続き、80年代中盤は一気に増殖した〝ホコ天バンド〟がブームの真ん中にいたものの、最も観客を集めていたジュンスカことJUN SKY WALKER(S)(ジュン・スカイ・ウォーカーズ)がメジャーデビュー(88年5月21日)したことで一区切りついた感が蔓延し、ホコ天に集まる若者たちも次のブームを探す空気になっていたからだ。


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「確かに『イカ天』が当たってバンドマンたちは帰って来ましたが、その頃にはホコ天がアマチュアバンドの聖地ではなく、イカ天がブームをけん引する存在になっていましたね」(人気ベテラン放送作家)


後に『イカ天』にもホコ天出身のバンドが集まるようになっていくが、彼らにはすでにホコ天時代から、中にはそれ以前から芸能プロダクションないしレコード会社の息がかかっていることも多かった。その最たる例がアミューズに所属してデビューする沖縄県石垣島出身の3人組、BEGIN(ビギン)だ。登場初週でイカ天キング(当週チャンピオン)になった瞬間、舞台裏では「アミューズからグランドイカ天キング(5週勝ち抜き)まで行かせろと言われている」とのウワサが広まったほどで、後にも先にもそんな密約説までささやかれたのは彼らだけだった。裏を返せば、それだけ完成度が高く、また異質の存在だったのだろう。

ピークは90年1月1日…

『イカ天』は89年2月から90年12月までの放送期間中、30組近いイカ天キングを輩出しているが、BEGINのように5週勝ち抜いてグランドイカ天キングに輝いたバンドは7組しかいない。


初代グランドイカ天キングのFLYING KIDS(フライングキッズ)、2代目のBEGIN、以降、たま、マルコシアス・バンプ、LITTLE CREATURES(リトル・クリーチャーズ)、BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)、PANIC IN THE ZU:(パニック・イン・ザ・ズウ)の7組だ。今では皆さんがなじみのあるバンドのほうが少ないと思うが、現在の知名度と照らし合わせてみても、おそらく『イカ天』を代表するバンドはBEGINということになるのではないだろうか。


そんな『イカ天』のピークは90年1月1日、日本武道館で開催された『輝く!日本イカ天大賞』(放送は翌2日)だろう。私事ながら当日は米ハワイ・オアフ島に滞在していたので、実際の現場には立ち合っていないのだが、前夜の大みそかに生中継された『輝く!日本レコード大賞』(TBS系)のセットをそのまま流用。ハーフタイムショーとして、三宅裕司さんがボーカルとリードギターを務めたパンク三宅とシンサイン・バンドがコピー曲を披露し、集まった観客を沸かせたと聞いている。


だが、『イカ天』が栄華を誇った期間は意外に短く、この3カ月後に私が逮捕されると、番組は崩壊に向けて下降線をたどっていく。