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歌ネタ、モノマネ多才なピン芸人・椿鬼奴インタビュー〜実は代官山のお嬢様!? いまは夫婦で駅前のパチンコ通い〜

椿鬼奴
椿鬼奴(C)週刊実話Web

桃井かおりのモノマネやボン・ジョヴィを歌う姿でご記憶されている方も多い、ピン芸人の椿鬼奴さん。大のパチンコ好きで、夫と打って楽しむ姿も頻繁に披露されている。そんな鬼奴さんに、知られざる芸人人生を振り返ってもらった。

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――鬼奴さんは子供の頃、なかなかのお嬢様だったとお聞きしたんですが。

椿鬼奴(以下、鬼奴)「裕福だった意識は全然ないんですけど、たまたま実家が代官山にあって、20歳まで住んでいたんです」

――代官山! それは相当お嬢様じゃないでしょうか。

鬼奴「いえいえ、今から40年前は代官山も割と普通の街だったんです。徐々にオシャレな街になりましたが。大人になってから、だいぶ都会に住んでいたんだな…と気づきましたね」

――ご近所には、芸能人の方もいたのでは?

鬼奴「家族でイタリアンレストランに行ったらアントニオ猪木さんがいたり、近所の美容室でジャイアント馬場さんが散髪しているのを見ましたね。確かに、子供の頃にBI砲をどちらも目撃するなんて、そうそうない環境ですよね(笑)」

――それは貴重な経験です。当時、鬼奴さんはどんなお子さんだったんですか?

鬼奴「人見知りな性格で、会話が苦手でしたね。ただ、代わりに人前で歌うのは得意だったんですよ。親戚の集まりで会話に参加しないのに、都はるみさんの『北の宿から』や石川さゆりさんの『津軽海峡 冬景色』を披露したり、中学では、普段は前に出ないのに、修学旅行のバスで歌ったり。歌であれば人とコミュニケーションが取れたんです(笑)」

大卒後に始まったパチンコ人生

――その頃から、将来は舞台に立ったり、芸人になろうと考えていたんですか?

鬼奴「いや、考えていなかったです。でも、お笑い番組は好きでしたね。初めにハマッたのは『8時だョ!全員集合』(TBS系)や『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)です。ウチは父親が決めたルールで、好きなテレビを見られる権利が週1回1時間しかなかったんですよ…。だから土曜の8時だけはドリフが見たいと頼んで」

――なかなか厳しいご家庭だったんですね。

鬼奴「はい。勉強も嫌いだったので、その逃げ道がお笑いでしたね。高1のときには『夢で逢えたら』(フジ系)に夢中になりました。VHSで録画して何度も見て。『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)も聞いていて〝裏カセット〟の配布会にも参加しましたね」

――熱狂していたんですね。

鬼奴「でも、20歳を過ぎて飲み歩くようになったら、テレビを見なくなって(笑)」

――大学生になって趣味も変わったんでしょうか。

鬼奴「ガラッと変わりましたね。サーファー系や裏原系の子がいるオシャレなグループに入れてもらい、海やスノボに行くようになって。要は大学デビューです」

――当時はモテモテだったんじゃないですか?

鬼奴「そんなことはないですけど、大学卒業後にそのグループの1人と付き合い始めましたね。ちなみに、その彼からスロットを教わって、私のパチンコ人生がスタートしました(笑)」

――あはは、彼氏さんの影響だったんですね。そして大学卒業後、どのようなきっかけで芸人を目指すことになったんでしょうか?

鬼奴「OLをしていたのですが、定時が17時で毎日夕方から暇だったんです。そこで友達と〝何か習い事でもしよう〟という話になり、雑誌『ケイコとマナブ』を読んで見つけたのが、吉本NSC4期生の募集でした」

――えっ、もしや習い事感覚で入学したんですか?

鬼奴「はい(笑)。でも行ってみたら18〜19歳の本気で芸人を目指している子ばかりで。26歳のOLは浮いていて、最初はクスクス笑われてましたね。でも、半年も経つと仲良くなって、授業も楽しかったですよ」

――同期にロバートやインパルス、森三中などがいて、まさにスター世代ですよね。

鬼奴「その3組は在学中や1年目から仕事が来てテレビに出ていましたね。森三中は、全体で女子が7人しかいなかったのもあって、目立っていましたよ」

印象深い『エンタ』出演は一度だけ!?

――鬼奴さんは、NSC卒業後はコンビで活動されていて、その後にピンに転身されたんですよね。

鬼奴「コンビで4〜5年やった後に解散になったのですが、最初はピン芸人もやらずOLに戻る気だったんですよ。そんなときに先輩のキートンさんが声をかけてくれて、今も在籍しているユニット『キュートン』に加入することになったんです。そこで私の芸人人生が続くことになりました」

――今の芸名は、そのときに決まったとか。

鬼奴「ピン芸名も考えた方がいいと提案を受けて、なぜか〝鬼〟という名前を命名されたんです…。他人事だと思って適当ですよね〜。ちなみに元相方も命名してもらったんですが、彼女は〝ハンバーグ〟でした(笑)」

――なぜ…。そして新たに椿鬼奴が誕生したんですね。

鬼奴「最初はキュートンの活動の一環として、仕方なくピン芸をやっていて、案の定ウケず…。でも、あるときミュージカル映画『シカゴ』のキャサリン・ゼタ=ジョーンズの格好で舞台に立ってみたら、なぜか笑いが起きたんですよね。今まで入らなかった女性からの票も増えて驚きました」

――そこからブレークしたタイミングはいつですか?

鬼奴「それが分からないんですよね〜。『エンタの神様』(日本テレビ系)って人もいるし、桃井かおりさんのモノマネで知ったって人もいるし、ボン・ジョヴィ歌ってとも言われるし(笑)。ジワジワ世間が知ってくれた感じでした。でも『エンタ』は1回しか出ていないんですよ!?」

――あれ、意外ですね。

鬼奴「不思議ですよね〜。ただ、そんなときに『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で〝椿鬼奴クラブ〟って冠タイトルの企画をやってもらったんです。藤井隆さんや清水ミチコさん、オアシズさん、博多大吉さん、森三中という仲のいい人たちが、私を紹介してくれたんです」

――豪華なメンバーですね。

鬼奴「その収録の帰りにオアシズさんが『こういう日は飲みたくない?』と連れ出してくれて。今思うと『収録が良かったから手応えあったんじゃない?』って意味だったと思いますね。実際、そこからイッキにお仕事が増えましたね。ありがたかったです」

――その後、お仕事だけでなくプライベートでも2015年に『グランジ』の大さんとご結婚され順風満帆。ただ、大さんの借金額も話題になっていましたが…。

鬼奴「過去の返済は終わってるみたいなんですが、現在は私と結婚したことで信用が出来て新たに借りられてるみたいなんですよね〜」

夫はクズ芸人ブームに乗れず

――あははは! 図らずも保証人の立場に。でも、クズ芸人ブームもあって稼いでいるんじゃないですか?

鬼奴「いや、大さんは〝早すぎたクズ〟といわれていてブームに乗れなくて(苦笑)。でも岡野陽一や『相席スタート』山添寛たちクズ芸人の後輩と仲が良くて、今や〝クズの兄貴〟となってます」

――(笑)。お2人がお休みの日は何をされてますか?

鬼奴「やっぱりパチンコですね~。彼はギャンブルだと競艇が大好きで、ボートレース関連の仕事もしているんですが、平和島まで行くのは、ちょっと遠くてね…。手軽に駅前のパチンコ屋に2人で行ってます」

――いいですね。鬼奴さんの打ちに行く前の必勝法を教えてくださいませんか。

鬼奴「オカルトではありますが、以前、どの食材を食べた日に出玉が良かったかを検証して、パチンコ開運食材を選定したんです。それが〝野菜サラダ〟と〝ゴマ〟なんです。なので打ちに行く日は必ず、その2つを摂取していますね」

――おお、なるほど。実践したいと思います。

鬼奴「あと私は『打つ台の作品に寄り添う運動』を推奨しています。アニメを題材にした作品が多いので、必ず原作を視聴するようにしているんです。その方が有利に働くと思っていて。岡野なんかは、原作を全然見ないで打つタイプですが。最近は『エヴァンゲリオン』が熱いので、作品に登場するロンギヌスとカシウスの槍のアクセサリーを身に着けて台に向かってます(笑)」

――ゲン担ぎ的な意味合いもあるんですね。

鬼奴「〝真摯に台と向き合う〟、これが大切です。そのおかげか、先日ついに大好きな『海物語』のSANYOさんとお仕事をすることができたんですよ〜」

――すごい。それは、おめでとうございます!

鬼奴「活動の成果です。夢が叶いました…。近々、動画がアップされる予定です」

――最後に、鬼奴さんの今年の目標を教えてください。

鬼奴「今年は『劇団椿』を立ち上げようと思っています。お芝居あり、笑いあり、歌謡ショーありの公演を計画しているので、ぜひ楽しみにしていてほしいです」

文/Kitsune 企画・撮影/丸山剛史

つばき・おにやっこ
1972年、東京都出身。大学卒業後、OL勤務の傍ら、東京NSC4期生となり入学したが、在学中に会社が倒産したため本格的に芸人を志し、26歳でデビュー。漫談の他に歌ネタ、モノマネを得意とするなど、幅広い芸風の持ち主として活躍の場を広げている。芝居あり、笑いあり、歌謡ショーありの『劇団椿』を立ち上げる予定。

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