政府は日本銀行の次期総裁に植田和男元東大教授を内定した。下馬評では、雨宮正佳副総裁の昇格が大本命だった。実際、2月6日に政府は雨宮氏に就任を打診したが、固辞されたと日本経済新聞は報じている。雨宮氏は黒田東彦総裁とともに、異次元の金融緩和に邁進してきたから、岸田政権の下で真逆の政策をやらされるのは、プライドが許さなかったのだろう。
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ただ、雨宮氏が総裁就任を固辞する姿勢は以前から知られており、就任を拒否された場合の「外れ1位」は、中曽宏前副総裁か山口廣秀元副総裁だと目されていた。ただ、この2人は雨宮氏よりもずっとタカ派であり、もし就任が決まれば、長期金利の急上昇と株価の暴落が目に見えていた。そこで岸田政権が目を付けたのが、ほぼ誰も予想していなかった植田氏だったのだ。
植田氏は1974年に東大理学部数学科を卒業後、経済学部に学士入学して、経済学部の天才が集まる宇沢弘文氏のゼミに所属していた。また、恩師として小宮隆太郎氏の名前も挙げているから、経済学部の当時の両巨頭から薫陶を受けたことになる。学生時代から、とてつもない才能を発揮していたことは間違いない。
問題は、植田氏が金融政策に関してハト派なのか、タカ派なのかということだ。植田氏は日銀の速水優元総裁と福井俊彦元総裁の時代に、金融政策決定会合での投票権を持つ審議委員を務めている。その当時の最も有名なエピソードは、日銀が2000年8月に行ったゼロ金利解除に反対票を投じたことだ。ITバブルが崩壊し、景気悪化の兆候が見られるなかでの金融引き締めは、その後、日本経済を奈落の底に落とすきっかけとなった。
日本経済は即死を免れたが…
近年における日銀最大の失敗だが、植田氏はその政策に反対したのだ。また、1998年6月に行った講演では、後にアベノミクスの骨格となったインフレ・ターゲット政策について、「インフレーションを抑制することが責務であると同時に、デフレに陥る状況を避けることもおそらく中央銀行の責務であろう」と、肯定的な発言をしている。
こうした点から見ると、植田氏がハト派であるような印象を受けるが、マーケットの判断は逆だった。植田氏内定の情報が伝わると長期金利は上昇し、為替は円高、株価は下落した。マーケットは植田氏をタカ派と判断したのだ。
植田氏は、アベノミクスで導入された量的金融緩和策に理論的支柱を与えたとされるが、日銀の審議委員だった時代には、量的金融緩和策を導入した際の効果を疑問視する発言もしている。つまり、植田氏はリフレ派のように一つの経済理論に固執するのではなく、幅広い経済政策を理解する経済学者であり、政策判断は決してハト派ではないということだ。日銀総裁内定を受けてのメディアからのインタビューでも、「現状では金融緩和の継続が必要であると考えています」と答えている。すぐには引き締めないが、時期を見てアベノミクスからの脱却を考えていくという意味だろう。
結局、植田新総裁の誕生で、日本経済は即死を免れた。だが、今後、じわじわと金融引き締めに向かっていくことも間違いない。マーケットは、そのことを瞬時に判断したのだろう。当面の安定と段階的なアベノミクスからの脱却。岸田文雄総理は外れ1位で、思惑通りの日銀総裁を手に入れたということだろう。
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