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石野真子“奇跡の62歳”波瀾万丈人生で培われた妖艶バディの秘密…

石野真子
石野真子 (C)週刊実話Web

「『わたしの首領』、『ジュリーがライバル』を歌っていたころと全く変わっていません。キュートで美しい。〝奇跡の62歳〟です」(テレビ局関係者)

西島秀俊が主演を務め、濱田岳と上白石萌歌が共演の連ドラ『警視庁アウトサイダー』(テレビ朝日系)の第5話から本格参戦している石野真子が評判を呼んでいる。


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「ミステリー作家・加藤実秋氏の同名小説を実写化したドラマです。西島らのスネに傷を持つグレーな刑事たちが、秘密を隠しながら互いに利用し合い、それぞれの正義を見出していくという〝異色刑事ドラマ〟なのです」(ドラマ関係者)

石野が演じているのは、元バーのママで夜の世界に生きる〝謎の女〟小浜三代子。

「昨年の『やんごとなき一族』(フジテレビ系)での土屋太鳳の母親役に代表されるように、近年の石野は優しく温かいオーラを振りまく役柄が多かった。今クールの別のドラマ『リバーサルオーケストラ』(日本テレビ系)でも田中圭の母親役。しかし本作では、夜の世界に生きる女を艶やかに演じています」(同・関係者)

石野は1961年1月31日、兵庫県芦屋市生まれで、62歳になったばかり。

「両親と妹2人の5人家族。お父さんは、ビーズ製ハンドバッグの製造会社を経営していて、かなり裕福だったそうです。妹の1人が女優のいしのようこです」(芸能ライター・小松立志氏)

中学からは中・高一貫の近隣のミッションスクールへ進学した。

「娘がかわいくて仕方がなかったんでしょうねえ。門限は〝午後4時30分〟だったそうです。帰りに乗る電車が1本でも遅れたら、その理由を電話しないとダメだった。そんなとき、お父さんは玄関先で〝鬼の形相〟で待っていた。これでは下校時、本屋で立ち読みもできません」(ベテラン女性誌記者)

それでも、楽しみはあったという。

「当時、日曜日の午前中に放送されていた萩本欽一司会のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)は必ず見ていたそうで、この番組からプロデビューした桜田淳子に憧れていたのです」(スポーツ紙記者)

でも、よく歌っていたのは、アグネス・チャンの『ひなげしの花』。とにかく、歌うことが大好きだったのだ。

半端なく強かった“オトコ”への警戒心

「そして、地元にあった平尾昌晃氏が主宰する歌謡学院に通うようになったのです。厳しかったお父さんがどうして許してくれたのかは今もって謎。彼女も話したがりません」(音楽プロデューサー)

高校2年の3学期に歌手デビューを目指して上京。学校も堀越学園へ転校した。

「いわゆる〝芸能コース〟に入ったわけですが、すぐに、学内はもとより周辺の男子校の間でも〝カワイイ〟と評判になりました。八重歯がチャームポイントで、下校時、男子高校生が門の前で列をなしたという〝伝説〟が残っています」(元アイドルライター)

こうして77年4月、憧れの『スター誕生!』決戦大会に出場。多くのレコード会社、芸能プロダクションから手が挙がり、見事、芸能界入りを決めた。

「件の桜田や山口百恵を上回る高得点を獲得。プロダクション16社からのスカウトを受けました」(前出のスポーツ紙記者)

その中から、所属タレントを体を張って守ることで有名なプロダクションをチョイス。

「女子校育ちで姉妹しかいなかった彼女の男への警戒心は、半端なく強かった。男性マネジャーと2人で車に乗るときも、いつでも逃げられるように、常に車のドアに手をかけていたそうです」(同・記者)

78年3月、『狼なんか怖くない』でデビュー。何とも皮肉なタイトルだが、その年の新人賞を総ナメにした。

「歌唱力もあって新人の中ではダントツ。それに、八重歯と垂れ気味の大きな瞳が魅力で、男性ファンのハートをワシづかみにしました。キャッチフレーズは『100万ドルの微笑』でしたが、一部ファンの間では〝隠れ豊満〟〝E級か?〟とウワサになっていました。初出演映画『九月の空』の撮影で、初めてキスシーンを演じた際には涙を流したといわれています」(芸能関係者)

しかし、石野の多忙な日々は3年半で、あっさりと幕を閉じてしまう。

「長渕剛との結婚です。今から思えば、男に対する免疫力がなかったのかもしれません」(芸能リポーター)

きっかけは、当時、長渕がメインパーソナリティーを務めていた深夜のラジオ番組に、石野がゲスト出演したことだった。

“バツ2の女”となって以降は…

「真子がデビューした直後から〝熱烈ファン〟を公言していた長渕。完全に〝狙い撃ち〟でした」(放送関係者)

81年9月、ファンからも芸能界からも惜しまれつつ〝寿引退〟し、翌年1月に挙式した。しかし、83年5月、離婚。わずか1年4カ月ほどの結婚生活だった。

「原因としてさまざま取り沙汰されましたが、結局、芸能界にカムバック。とはいえ、歌手ではなく女優として復帰しました。〝前夫と同じ土俵〟には上がりたくなかったからです」(前出の芸能関係者)

それからは、ドラマや映画・舞台・CMなどで大活躍となったわけだが、90年6月、舞台公演で知り合った広岡瞬と再婚。

「今度こそと彼女は頑張りました。でも、女房の稼ぎを当てにして、結婚後、広岡が働かなくなってしまったのです」(前出のテレビ局関係者)

結局、5年半で離婚。石野は〝バツ2の女〟となってしまった。以降、歯科医との不倫をキャッチされたりしたものの、男性関係には慎重だったが、2002年12月、極真空手の元全日本チャンピオンとの不倫同棲が発覚。

「しかも、不倫は元チャンピオンの奥さん公認で、石野は彼の息子と3人でマンション暮らしをしていると認めたものでした」(前出の芸能リポーター)

しかし、不倫報道直後、元チャンピオンは肝臓がんで入院。石野は仕事を休んで正妻とともに看病。最期を看取ったという。

以後、石野の浮いた話はほとんど聞こえてこない。

「〝大人の女〟らしく、うまくやっているのかもしれません。料理も上手だし、家庭菜園でブルーベリーやバラを育てるなど女らしく、男がいない方がおかしい。すでに、〝三度目の結婚〟をしていても、少しも不思議ではありません」(前出のスポーツ紙記者)

流れるままにここまで来ました――と語る芸能生活は、今年〝45周年〟。

「そこで取り沙汰されているのが、〝極小ビキニ写真集〟出版のプランです」(前出の芸能リポーター)

ここ2〜3年の間でも、宮崎美子、藤あや子らが〝還暦超え〟とはとても思えない艶姿を見せてくれた。

「石野の肌は張り艶もあって、少しも衰えていません。昔のように〝全部魅せ〟してくれたら最高なんですけどね」(同・リポーター)

〝フル露出〟なんか怖くない!?

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