――1981年のデビューシングル『函館本線』が大ヒットし、同年の日本レコード大賞新人賞など数々の賞を受賞。86年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。今年、デビュー41年目を迎え、傍から見ると順風満帆な歌手生活のように見えますが、歌手生活の分岐点になるような出来事はありましたか?
山川豊(以下、同) 昨年、デビュー40周年でしたが、コロナ禍でコンサートが開けず、インターネットの配信での開催になりました。コロナ禍で大変なのは皆さん同じだと思うんですよ。
デビューからを振り返るとうれしいこと、辛いことがたくさんありました。中でも、やはり辛いことを乗り越え達成できたことは印象深いですね。華やかなデビューを飾り、デビュー直後の数年は今思えば勘違いしていた部分もあるんです。レコード会社にも歌い手さんはたくさん所属していますけど、俺のことだけを応援してくれると思っていたんです。でも、だんだんとヒット曲に恵まれず、仕事も減り、例えば、ポスターの紙が年々薄くなったりするのが分かってくる。
デビューして8年目くらいですかね。目に見えて仕事が減り、新しい歌い手さんも芸能界にたくさん入ってくる。自分の置かれた状況がよく分かり始め、不安で仕方なかった。歌のことを考えすぎて眠れない日々が続いたんです。これは辛かったですね。そこで体を鍛えようとボクシングジムに通い始めたんです。
ボクシングを始めた当初は、トレーニングで疲れ果てて、眠ることができるようになった。一概には言えませんが、俺みたいなタイプは家で1人で考え込むよりも適度な運動をしたほうが良いと思いましたね。歌のことを考えれば考えるほど、自分で自分を追い詰めてしまうんです。
新人に戻ったつもりで地方スナックまわり
また、ジムへ通うようになり、歌以外の世界を見ることができたのも大きかった。ジムの寮に入り、プロボクサーを目指す地方出身のハングリー精神旺盛な若い子たちに出会ったんです。でも、プロボクサーのライセンスを取る、取らないではなく、厳しい練習に耐え、減量ではコップ1杯の水さえ飲めない状況で、彼らがどんどん変わっていき、立派になっていくその姿にものすごく刺激を受けたし、励まされもしました。それまで俺は歌のことで悩んでいたけど、彼らはもっと大変な生活を強いられている。
そういう経験を経て、デビュー10周年シングル『しぐれ川』に懸けてみようと思ったんです。期待より、不安のほうが大きかったですよ。でも、やる以上はとことんまでやってやろう。新人に戻ったつもりで、地方のスナックまわりといった地道な活動もしました。幸先の良いデビューだったので、「山川豊がこんなところで歌っている」と言われ、辛い思いもしましたけど、「もう少し待って下さい。頑張っているから」の心持ちでした。これでヒットしなければ仕方ないなと。普通だったらレコード会社も事務所も許してくれないと思うんですけど、「お前がそこまで切羽詰まっているなら」と応援していただいた。
1992年に『夜桜』をリリースし、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞したのを皮切りに、二度目の紅白歌合戦にも出場できた。そういう意味では『しぐれ川』は歌手生活の中で一つの分岐点ですね。(以下、後編へ続く)
やまかわ・ゆたか
1981年『函館本線』でデビュー。’86年『ときめきワルツ』で紅白歌合戦初出場の他、多数のヒット曲、音楽賞を受賞。’21年には『山川豊40周年記念コンプリートベスト』をリリース。’23年3月『山川豊スペシャルライブin東京』を開催予定。ボクシングC級ライセンス所持。
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